美の境地。権力者に愛された茶人・小堀遠州「綺麗さび」の世界

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先日掲載の記事「絢爛豪華な北山か、わび・さびの東山か。京都が見せるふたつの顔」で茶道についてもご紹介してくださった、無料メルマガ『おもしろい京都案内』の著者・英学(はなぶさ がく)さん。今回は、時代を下って江戸の世に小堀遠州が作り上げた茶道の精神「綺麗さび」について詳しく解説しています。

綺麗さび

絢爛豪華な北山か、わび・さびの東山か。京都が見せるふたつの顔」では、室町文化をご紹介する中で茶道についてお伝えしました。

今回は室町時代に千利休によって大成されたわび茶から派生していった綺麗さびについて書いてみました。

江戸時代になると戦国の世が終わり天下泰平の時代へと移り変わります。時代が変われば茶道のような文化の趣きも変わっていきます。江戸時代初期に現れた綺麗さびという美の境地がどのように生まれたのでしょう。

綺麗さびは、江戸時代初期、寛永文化の時代に形成された茶の湯の美意識です。小堀遠州の茶の湯にみられるもので、千利休のわび茶を基盤にしています。わび茶を軸にして均整を重んじ、洗練されていて、王朝文化の要素を持っていることが特徴と言えるでしょう。またとりわけこの時代には「綺麗(きれい)」という言葉が流行したようです。

遠州は茶人としては古田織部(おりべ)の弟子でした。古田織部の茶の湯はいささか理屈っぽい印象を受けますが、遠州の好みは刃物のように切れ味がよく、きっぱりしています。

茶道にはさまざまな表現があります。例えば、お姫様のような華奢好みは金森宗和(宗和好み)、わび茶に徹しているのは千宗旦というように茶人によって作風が違います。その中で遠州の綺麗さびというのは洗練され、垢抜けた美しさを表すもので、寛永時代の美意識を表すものとなりました。

この時代は戦乱の世から天下泰平な時代へ移り変わる時です。江戸時代に入り三代将軍徳川家光の時代です。この時代は幕藩体制も整い徳川家が最も盤石だった時代と言えるでしょう。日光東照宮の陽明門やその周りの建築物に施された豪華絢爛な彫刻などがそれを物語っているでしょう。

庶民の生活も豊かになり、さまざまなことが整備された時期でもあります。そのような時代に茶道も新たな形を創造していくようになっていったのでしょう。そういった時代背景です。

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