古都の掟は彼らが決める。京都の影の実力者「白足袋族」は何者か

shutterstock_363801446
 

京都人の気質を表すひとつの要素として、「いけず」という言葉が上げられることがあります。なぜこのような印象を与えるに至ったのでしょうか。今回の無料メルマガ『おもしろい京都案内』では、著者で京都に詳しい英学(はなぶさ がく)さんが歴史を紐解きつつその理由を解説するとともに、古都を取り仕切る「白足袋族」と呼ばれる人々についても紹介しています。

白足袋族

東京にはかつて「ヒルズ族」という人達がもてはやされました。今でも六本木ヒルズなどに住んでいる一部の富裕層の人達はヒルズ族なのでしょうが、そのような言葉はあまり聞かなくなりました。京都には昔から「白足袋族」という人達がいます。今回はその正体についてお話ししましょう。

京都の街は、たまに訪れるだけの観光客には知りえない世界があります。花街のしきたりなどもどこかベールに隠されたところがありますよね。我々が興味を持って突っ込んで理解しようとしても何か壁のようなものを感じる瞬間が多々あります。

京都に住む人々もまた「よそさん」には簡単に気を許そうとはしていない様子です。彼らは観光客を温かく迎えてくれるのかも知れませんが、いざ住んでみると違うのかもしれません。京都人はめったなことでは本音を表に出さないし、すぐにくだけて親しくなることを警戒する向きがあるようです。残念ながらこうした京都人の断片的なイメージが「いけず」だという印象を作り上げてしまっているのでしょう。

京都の歴史は、戦乱の歴史そのものです。室町時代の応仁の乱、その後の戦国時代、幕末の蛤御門の変など、戦のたびに京都はよそ者に破壊され続けてきました。常に危険と隣り合わせで自分の身は自分で守らなければという思いが京都人にはしみついてしまっているのかも知れません。そしていつしか他人に警戒的で排他的な習性が身についてしまったとも言えるでしょう。街の自治という意味でも、京都は常に天皇の居住地だったので、得体の知れないよそ者を排除しようとする圧力やそのような雰囲気はあったことでしょう。

よく東京の人は冷たいといいます。東京に住んでいると、東京出身の人の割合よりも、圧倒的に他府県から移住している人の割合が多いので、隣人を容易に信用しません。どこから来たどんな人か分からない人達ばかりだからです。他人から声を掛けられても不信に思うのが習慣的に身についています。このようなことは今も昔も大都市に住む住人の持つ一般的な感覚なのかもしれません。

print
いま読まれてます

  • 古都の掟は彼らが決める。京都の影の実力者「白足袋族」は何者か
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け