結成30週年を迎える「スピッツ」。彼らの音楽は今も昔も変わらず、気がつくと口ずさめてしまうような誰の耳にも残る親しみやすい楽曲が特徴です。メルマガ 『ジャーナリスティックなやさしい未来』の著者でジャーナリストの引地達也さんは、彼らについて「言葉の展開と音楽性はケアそのもの」とし、スピッツの音楽に癒やしと親しみやすさ、そして深みがあることの根拠について記しています。
スピッツの世界観に「ケア」を感じる
歌で展開される「作り上げられた」世界は、立体的な輪郭を帯びて、私の中にある感情の隅っことシンクロする─。
結成30周年となったスピッツの楽曲はいつも私の隅っこに語り掛けてくる。こういうことかな?と。それは押し付けではなく、寄り添おうという奥ゆかしさ、そして、悩んで虚空を見つめる私の横にいつの間にかぽつんと横に座ってくれる親しみやすさ、がある。
こんなことを書きながら、私はスピッツのコンサートに行ったことはないし、新曲やアルバムの発表を心待ちにしてすぐに購入し、コレクションするような熱心なファンではない。
いつも気が付けば、そこにスピッツの曲があった、というのがスピッツとの付き合い方であり、距離感。
それが最も心地よい。
今回、デビュー以来のシングル曲を集めた3枚組のアルバム『CYCLE HIT 1991-2017』を聴いて、「大人」になる自分、その歩みもシンクロする。
ケアの仕事をしながら、ケアを研究対象にする自分にとって、ケアなるものには人より敏感になったと思う。音楽でも、ケア性を帯びたものとそうでないものを分けたとき、スピッツのケア性は際立っている、と感じている。
歌詞がすべて日本語であるが故の紡がれた言葉の繊細な響きは、傷付いた心を癒す行為に直結する。前述のように「社会に溶け込んでいく」自分に重ね合わせていってしまう。
例えば1991年のメジャーデビューのシングル「ヒバリのころ」は、大学1年生で初めての海外一人旅でニューヨークの下町に1か月間、アパートを借りて疑似海外生活を楽しみながらも、自分の無力感にも気づいた頃である。
歌詞には「目をつぶるだけで遠くへ行けたらいいのに」とあると同時に、ほろ苦い若い時の決意がこううたわれている。「風に飛ばされるまで気まぐれな蝶 僕らこれから強く生きていこう 涙がこぼれそうさ ヒバリのころ」。
多くの人がスピッツを知ることになる1995年のヒット曲「ロビンソン」は、今までの瑕疵の世界を宇宙に広げる大きなスケールの作品で、校舎のガラス窓をバイクに乗って叩き割っていた尾崎豊風の青春のエネルギーは、この歌で宇宙に持っていかれたのである。
「大きな力で 空に浮かべたら ルララ 宇宙の風に乗る」(ロビンソン)。
「涙がキラリ」では「何も知らない惑星は 世界をのせて まわっているよ」とこの世界を惑星と表現する。俗世の猥雑な悩み事は「宇宙」の概念ですべて解決できてしまうような魔法の法則をさらりと歌っているようで、身近な日本語の言葉の数々は普遍的で拡がりが大きい。
その言葉は確実に人との関わり合いをあきらめない、そして癒し癒される関係性を維持しようとする優しさがある。
同時に人が孤独であることも知っているから、深みもある。
「君の心の中に棲むムカデにかみつかれた日 ひからびかけた僕の 明日が見えた気がした 誰かを憎んでいたことも 何かに怯えていたことも 全部かすんじゃうくらいの 静かな夜に浮かんでいたい」(流れ星)というように。
日本語と宇宙概念と同時にケア性を考える際、重要なポイントは自然界のモチーフである。
意外な生き物や植物が歌詞に登場し、それは一瞬目くらましのような効果となるが、実はメタファーとしては含蓄があり、存在感は重厚である。
「あわただしい毎日 ここはどこだ? すごく疲れたシロクマです 強い日差しから 逃れて来た しびれが取れて立ち上がれば」(シロクマ)、「まばゆい白い世界は続いていた また今日も巻き戻しの海を エイになって泳ぐ」(雪風)、「こんな気持ちを抱えたまんまでも何故か僕たちはウサギみたいに弾んで 例外ばっかの道で不安げに固まった夜が 鮮やかに明けそうで」(歌ウサギ)。
自然と心のモチーフは、嫌みがない。
これらの言葉の展開と音楽性はケアそのものだという認識に立つ時、私もスピッツの歌のような仕事をしたいと思い至る。
そして、誰かと共有し、ケアなる行動につなげたいと考えてしまう。そう考えながら、明日もまた仕事中に頭の中では、スピッツがリフレインするのだろう、と思う。
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