鼻と花が同じ音なのは偶然? 語源をたどって見えた「大和言葉」

 

咲く、幸い、盛り、岬、酒

花が「咲く」のと人の「幸い」も同根である。「幸い」は「さきはひ」で、「さく」と「はひ」に分かれる。

「さく」は「咲く」である。ものがそのピークの状態になることを意味する。ちなみに「花盛り」の「盛り」も、「さか」+「り」で、花が咲きあふれているピークの状態を意味する。岬も「み(美称)」+「さき」で、海や湖に突出した形状の土地を指す。お酒の「さけ」も、酒を飲むことで、気持ちが高揚し、幸福感を抱く。

「はひ」は「延ふ」で、ある状態が長く続くことを指す。「味はひ」は、「あの人の言葉には味わいがある」と言うように、「長く続く味」を意味する。

とすると、「さきはひ」とは「咲く」という花の満開状態が「延ふ」、長く続く、ということになる。心が花開くような嬉しさが、持続的に続く状態と考えれば、古代人がこの言葉に込めた語感がよく伝わってくる。

現代人は「幸福」とは何か、などと抽象的に考えるから、訳が分からなくなる。「さきはい」とは「心の中に花が咲きあふれて、長く続く状態」と知れば、それはお金や地位などの外的物質的なものに関わりなく純粋に心の有り様であることが分かるだろう。

人と草木の一生

草木が春に芽ぐむことを「萌える」と言う。「萌える」は「燃える」と同じで、火が盛んに起こった状態を指す。「仕事に燃える」「燃える恋」などと、人が心の中で情熱を燃やしている状態にも使われる。

人が最も燃える時期が「青春」だが、同様に春に草木の生命力が盛んに燃えて、新しい芽を出すのが「萌える」である。

この後に、前述の「花盛り」を過ぎて、実が「なる」時期が到来する。「なる」は人にも使われて、現在でも「大人になる」「人となり」などと使われる。「なる」とは、そのものの生命力が発現された状態を指した。

やがて人も草木も老いて、生命力を失っていく。植物では水分を失ってしおれる事を「しなゆ」と言った。「ゆ」は自然にそうなる事をいい、「しぬ」は「萎(しな)える」、水分を失って、くたっとなった状態を指す。「しぬ」は、人間の「死ぬ」にも使われているが、本来の意味は命が絶えた状態ではない。

植物の命が絶えるのは「枯れる」である。完全に水分が失われた状態を指す。「枯れる」の古語は「離(か)る」と言い、人間で言えば、魂が体から離れることを言った。

体から離れた死者の魂は、「ねのくに(根の国)」に戻ると古代日本人は考えた。「ね」は母なる大地である。そこから、人も草木もまた「たね」を育み「め」を出し「はな」を咲かせていくのである。

print
いま読まれてます

  • 鼻と花が同じ音なのは偶然? 語源をたどって見えた「大和言葉」
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け