鼻と花が同じ音なのは偶然? 語源をたどって見えた「大和言葉」

 

「生きる」「息」「命」

「生きる」「息(いき)」「命(いのち)」は、どれも「い」で始まっている。「いきる」の古語は「いく」であるが、これは息(いき)と同根である。息をすることが、生きることである。だからこそ、息をする器官である「鼻」が、顔の中心だと考えられたのである。

「いのち」の「い」は、「生く」「息」と同じである。そのほかにも、「い」は「忌(い)む(慎んで穢れを避けること)」「斎(いつ)く(神などに仕えること)」など、厳かな意味を持つ。

「いのち」の「ち」は不思議な力を持つもの、すなわち霊格を表す言葉で、「おろち(大蛇)」「いかづち(雷)」「ちち(父)」などに使われている。生けるものの体内を流れる「血」も、不思議な力の最たるものであった。この「ち」に「から(そのもの)」を合わせた言葉が「ちから(力)」である。「ちち(乳)」も、生命を育む不思議なちからを持った存在である。

したがって、「いのち」は「忌(い)の霊(ち)」とでも言うべき忌み尊ぶべき霊力である。そのような尊厳ある「いのち」が草木や人間に宿っていると古代の日本人は考えたのである。

たまきはる命に向う

『万葉集』の相聞歌に、中臣女郎(なかとみのいらつめ)が大伴家持に贈った、次のような歌がある。

<直(ただ)に逢(あ)ひて見てばのみこそたまきはる命に向うわが恋止(や)まめ>

お便りだけでなくじかにお会いしてこそ「たまきはる命に向う」私の恋心も安らぐでしょう、という意味である。

「命に向う恋」とは、諸説あるが、ここでは、自分の生命力の根源である「いのち」に相対して、それを苦しめている恋心である、とする説をとる。「いのち」が人を生かしめている不可思議な力である、とすればこそ、それをすら苦しめる恋心の強さが感じ取れる。

「たまきはる」とは何か。「たま」とは霊魂である。「きはる」は「きわめる」の古語「きはむ」で、極限(きは)を求めることを意味する。わが魂の根源にある「いのち」それが「たまきはるいのち」だと考えられる。

「命に向かうわが恋」を「命を賭けた恋」とする解釈もあるが、それでは「成就しなければ命を捨てよう」という、迷いも苦しみもない意志的な生き方となる。「魂の根源にある生きる力を苦しめている恋」に比べれば、きわめて平板な人間観になってしまう。

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