庶民の味方。城北信用金庫は、いかにして赤羽のヒーローになったか

 

庶民の味方!客大絶賛の信用金庫

城北信用金庫は赤羽のある東京北部や埼玉県南部などに95店舗を展開。中小企業が密集する北区や荒川区ではその9割と取引。全国平均は6割程度というから、信頼の高さは絶大だ。

中には城北信金に支えられ大きく成長した会社もある。荒川区の「マルミツ」は靴メーカー。以前は大手メーカーのスポーツシューズを下請けで作っていたが、2年前、100%自社ブランドのメーカーに転身した。手掛けるのはドライビング・シューズ。かかとが丸くなっていて運転しやすい。シックなデザインも客に受け、黒字経営となっている。

取締役の宮部修平さんは、事業転換は城北信金なしではできなかったと言う。

「常に連絡を下さり『頑張っているかな』と見守ってくれるありがたい存在だと思います」

ふだんから取引先を回っている城北信用金庫理事長・大前孝太郎(53歳)は、「融資したお金がどこに投じられているかを確認するのは、金融機関として預金を預かって運用している身としては大切ですから」と、語る。

お客と密に接する事は信金マンの基本だと言う。前述の長谷川が、この日は定期の積立金を預かりに小さな町工場「沼口美術印刷」の吉田優美子さんの元へ。毎月来ているが、吉田さんは「今月はお給料の支払いのため定期を解約したい」と言う。相手は中小企業、シビアな状況もあり得る。いいときも悪いときも寄り添うのが信用金庫なのだ。

こうした姿勢は信用金庫の成り立ちに起因する。前身は明治時代、貧しい農民などを助けるために作られた信用組合にある。戦後、法律が制定され、庶民や中小企業のための金融機関として信用金庫は生まれた。

信用金庫と銀行との大きな違いは取引相手の規模。銀行は大企業とも取引するが、信用金庫は従業員300人以下、資本金9億円以下の中小企業限定。実は日本の企業の99%以上は中小企業。小さな会社の隅々にまでお金が流れるようにするのが信用金庫の役割だ。

この日、日暮里中央支店にやって来たのは焼肉店を営んでいる中原健太郎さん。城北信金との付き合いは15年前から。当時、狂牛病騒動が起こり、中原さんの焼肉店も大打撃を受けた。そのとき400万円を融資し立て直しに協力したのが城北信金だった。

経営が厳しいときは近いところで相談に乗ってくれる。この先もいい関係でいたいと思うので、他には行きません」(中原さん)

今回は、手を広げて始めたハンバーガー屋の2号店の開店資金、7000万円を借りに来た。1号店はテイクアウトの店だったが、今度はレストランスタイルで勝負する。融資できるかどうか、鍵を握るのは客の回転率だという。融資担当係長の小池雄太は詳しく検討することを約束し、この日の面談を終えた。

融資した場合、中原さんは返済できるのか。工費や人件費などの運転資金を計算し、営業した想定でシミュレーション。立地なども改めて検討した。後日、小池はデータをまとめて田口章彦支店長に相談。今後、審査を重ねて融資するかどうかを決定するが、信頼をおく中原さんだけに前向きに検討すると言う。

チャレンジする元気な企業があってこその信用金庫。大前は「地域の歴史とともに大きく成長させてもらっている。地域がダメになれば僕らも難しくなる。一体ですね」と語る。

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今や全国区ブランド~鯖江メガネの復活劇

赤羽の春のビッグイベント「赤羽馬鹿祭り」。この祭りの先頭に立って盛り上げているのが城北信用金庫だ。パレードにはダントツで最多の146人で参加。運営費も出資し、祭りの顔となっている。この他にも花火大会やマラソン大会で地域を盛り上げている。

「馬鹿祭り」の様子を嬉しそうに見ている大前は、大学を卒業後、住友銀行(現三井住友銀行)に入行。融資係などを担当した。34歳の時に転機が訪れる。内閣府の民間人採用枠に応募し、官僚になったのだ。内閣府で担当した仕事は地方の再生。その舞台は福井県鯖江市だった。

古くからメガネ作りを地場産業にしてきた鯖江だが、大前が目にしたのは安い中国製に押され、衰退著しい姿。新しい客層の開拓が急務だと感じた。そこで大前は鯖江のメーカーに、「若者が集まるイベントがあります。そこでアパレルブランドのデザイナーと組んで新しいメガネを作ってみませんか?」と提案した。

職人たちはその場では黙って話を聞いていたが、大前がいなくなると「なんにもわかってない東京もんが、何を言ってるんだ!」と、不満を爆発させた。

当時の担当者で、鯖江市産業環境部の渡辺賢さんによると、一番の問題は値段だった。

「ファッショングラスは2000~3000円で、洋服屋さんの店頭にかかっているのが一般的。鯖江のメガネは2万円以上する。そういう市場が若い女性にあるのか、と」

すったもんだの末にできたメガネを大前が持ち込んだイベントは、毎年ファッション好きの若者を3万人も動員する東京ガールズコレクション。そこで人気モデルが鯖江のメガネをかけると、一つ2万円以上する商品が360個完売した。この成功は職人の意識を変えたと言う。

「手間ひまかけて苦労して作り上げた製品が若い方に支持されて喜んだし、やり方しだいでは若い女性もターゲットになり得ると実感されました」(渡辺さん)

今では東京・原宿「ロイド」のように鯖江のメガネだけを扱う店まで誕生している。

一方、メガネ業界に一石を投じたこの成功体験は、大前の意識も変えていた。

「そのときは国の立場で行っていたのですが、金融機関の人がやってもいいと思いました」

信用金庫の可能性を感じた大前は2009年、祖父と父が継いできた城北信金に入庫。2年前には理事長に就任した。

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