スイス本社も絶賛。ネスレ日本が起こした「ジャパンミラクル」とは

 

日本人初の生え抜き社長~高岡浩三の覚悟と流儀

ネスレ日本で日本人初の生え抜き社長となった高岡は、1960年、大阪府堺市に生まれ、サラリーマンの家庭で育った。転機が訪れたのは11歳の誕生日だった。

自分の誕生日に父親がガンで亡くなったのはやっぱり辛かったですね。葬儀が終わった夜に、母から、自分のおじいちゃんも父親と同じ厄年の42歳で亡くなったので、『お前も気をつけなさい』みたいなことを言われたのを、強烈に覚えています」(高岡)

自分に残された時間も少ないのではないか。高岡は若くても実力次第で大きな仕事ができる外資系企業を目指す。神戸大学を卒業後、ネスレ日本に入社。主にマーケティングや商品開発を担当した。

41歳の時、スイス本社から「キットカット」の責任者を託され、思わぬ難題を突きつけられた。

「私のミッションは、利益金額を、通常なら毎年5%伸ばせというのでも結構大変なんですけども、5年後には500%にしろということなんですよ。5倍に」(高岡)

当時、「キットカット」は日本では伸び悩んでいた。どうやって立て直すか、苦悩の日々が続く。そんなある日、九州の支店から電話が入った。「九州では1月と2月にキットカットが売れているどうも受験生が買っているらしい」と言うのだ。

「『キットカット』が『きっと勝っとお』に聞こえる。それが子供さんの受験に縁起が良さそうだ、と」(高岡)

高岡は全国の予備校をまわり、売店にキットカットを置いてもらった。しかし、1年近く経っても全く反応は得られなかった。突破口は、意外にも自らの体験にあった。

「大学を受験する時に、神戸市内のホテルに初めて一人でホテルに泊まったんです。すごく孤独な不安な一夜を過ごしたなっていうのがあって」(高岡)

受験生の不安な気持ちを少しでも和らげることはできないだろうか。高岡は受験生が泊まるホテルを一軒一軒訪ねてまわり、「受験生に渡して頂けないか」とお願いをして歩いた。どのホテルもなかなか首を縦に振ってはくれなかった中で、「2軒のホテルだけ、とりあえず渋々だけど『やってみよう』と。そこですごい大きな反響がきたんです」。

朝、ホテルを出発する受験生に、フロント係が「キットカットを手渡す。そして「頑張ってくださいね」と一言、応援のメッセージを添えてもらったのだ。

これが口コミで話題となり、「キットカット」は一大ブームに。受験生の不安を解決したいという高岡の思いが実を結んだ。そして利益を5年で5倍にするというミッションも4年目にクリアした。

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