国権か民権か。衆院総選挙前に改めて考える「リベラル」の定義

 

坂野潤治は間違っている

折しも朝日新聞が13~14日付で「リベラルとは」を連載した。直訳すれば自由なという意味だが、それだけでは分かるような分からないような。希望の党の小池百合子代表が一部民進議員を「排除」し、その対象となった人たちで結成された立憲民主党が「リベラル勢力」「リベラル新党」と呼ばれた。この「リベラル」をどう理解すればいいのかと同紙は問いかける。

日本近代政治史の泰斗=坂野潤治教授は、「リベラルとは、既存の価値を守ることを重視する保守と、急激な改革を志向する急進との間にある中道を指す」と語る。

歴史を振り返れば、「明治維新以降、近代の政党史は、藩閥政府を担っていた『保守』、議会の開設や2大政党制を目指していた福沢諭吉などの勢力が『中道』、より徹底した民主主義を求めた板垣退助ら自由民権派などが『急進』とされ、その3者が常にせめぎあってきた」。

しかしこの「保守~中道リベラル~急進」という図式は分かりにくくて、頭の整理に役立たないどころか、かえって混乱させかねないのではないか。

第1に、薩長藩閥政府は単なる保守というより、明治維新を主導した革命的な国権派と特徴づけるべきだろう。

国権は「国家権力の短縮形で(英語で言えばstate power)、その確立を最優先するのが国権派である。当然、国家主義、統制主義、全体主義、国粋主義、対外膨張主義、大国主義、帝国主義等々といった、肩肘張った剣呑な方向に連続しやすく、それらの思想・政策傾向までを総称して「国権主義」と呼んでも差し支えないのではあるまいか。

薩長藩閥政府以来、今日に至るまで150年間の日本近現代史の1極、しかも概ね支配的な1極をなしてきたのはこれで、安倍政治はその今日的な(遅れて来た時代錯誤の、もしかしたら最後──にしなければならない打倒の対象としての)担い手である。

第2に、それに対して福沢諭吉が中道的で従ってリベラルの源流だと見るのは、私に言わせれば買いかぶりというよりも、酷い誤解で、明治早々の頃の福沢が「天は人の上に人を造らず」などの西欧開明思想を翻訳・紹介した啓蒙家であったのは事実だけれども、1884(明治17)年の甲申事変をきっかけに朝鮮をめぐる清国とのせめぎ合いが激しくなると共に「戦争となれば必勝の算あり」「求る所は唯国権拡張の一点のみ」などと、清との開戦を強く訴える主戦論者の筆頭として「時事新報」で論陣を張った、まさに国権派そのものであって、中道もへったくれもない。

色川大吉『自由民権』も、福沢の「支那・朝鮮に接するの法も隣国たるが故とて特別の会釈に及ばず、まさに西洋人がこれに接するの風に従って処分すべきのみ。……我れは心においてアジア東方の悪友を謝絶するものなり」という口汚い文章を捉えて、「その後100年間、いまなおつづく日本の『脱亜入欧』の路線を、これほど挑発的にあからさまに述べたものを私たちは知らない」と断じ(ヘイトスピーチの元祖が福沢ということか!)、かつて人権や平等を説いたあの「福沢は1880年代にはもはや『存在』していない」と嘆いている(岩波新書、P.84)。こんな福沢が、中道でもリベラルでもあるはずがない

第3に、国権派の対極をなす民権派の中に、板垣退助のような穏健派というか、生煮えの妥協をしたり買収されたりしながらやがて日清戦争の「勝利万歳」の呼号の中で国権派に屈服していった腰抜け派と、それを不満として武装蜂起やテロという極端に突き進まざるを得なかった急進派があったのであって、板垣が特に急進派であった訳ではない。

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