国権か民権か。衆院総選挙前に改めて考える「リベラル」の定義

 

国権か民権かが中心座標軸

たぶん板野教授は近代政治思想史について詳しすぎるので、系譜の変転の複雑さやその微妙なニュアンスなどについて、高度の解説をして、それを朝日の記者が消化しきれないまま記事にしたのではないかと推測される。が、いずれにせよ、私は国権vs民権というシンプルな座標軸でこの150年間を捉えるのがいちばん分かりやすいと思っている。色川の言うところを聞こう。

民権派はまず専制政府を打倒し、国内の民主化を実現し、国民の自発性と愛郷心、愛国心をふるい起こすことが第一だと考えた。国民の合意にもとづく一致結束なくして防衛の根拠はない。まず守るに値する国家をつくろう。民権なくして真の国権はない。それまでは、たとえ日本の近辺で戦争が起こっても、われわれは局外中立を守るべきだ。これから先も軍事大国への道を歩むべきではなく、道義立国を基本としたアジア共同主義なり集団安全保障なりの可能性を追求すべきであると主張していた。

これは明治政府の防衛構想と根本から対立するものであった。明治国家は富国強兵を基本政策とし、とりわけ軍事力の強化による国権の伸張を第一とした。民権は国権の伸張に役立つ範囲においてのみ認めるが、それを自己目的とすることは許さない。国権なくして民権などあり得ない、というのが彼らの主張であった。しかも、彼らのいう国権の確立とは朝鮮支配を前提とし、欧米帝国主義の仲間入りをしえアジア大陸に権域を確保するという内容のものであった。この道を突進しようとする明治国家にたいして、真正面から立ちはだかったのが自由民権運動だったのである(同上、P.219~)……。

それにしても、である。明治維新からわずか10年余、明治10年代前半までに、全国に1,000とも2,000とも言われる政治学習結社が下級武士や農民を中心として雨後の筍のごとく誕生して、国の行く末を激しく論じ合い、その一大民衆運動の中から、分かっているものだけで40を超える憲法草案が噴出した。中でも200条以上の条文を持つ本格的なものは、植木枝盛の「大日本国国憲案」と、千葉卓三郎起草のいわゆる「五日市憲法草案」であった。

(中略)

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