売上減少のヤクルト、ネット販売進出でヤクルトレディはどうなる?

 

ところで、ヤクルトレディとはどのような存在なのでしょうか。ヤクルトレディの原点は1954年に高松で始まった「婦人販売店システム」です。それまでは、販売や配達は男性に依存していました。そうしたなか、広島で販売を担っていた野田一博氏が高松で販売を行うことになった際に、自身が学生だったため年上の男性は扱いづらいことから主婦を採用するようにしました。

これが上手くいきました。ヤクルトが求めた「地道に、辛抱づよく、まじめに、几帳面に」という条件を満たす人が家庭の主婦だったためです。また、顧客の多くが主婦ということもあり、同じ立場でコミュニケーションができます。そのため、家事の手を止めて話を聞いてくれる人が増えたといいます。

63年に本社方針として婦人販売店システムが公式にスタートしました。開始時は1万人弱がヤクルトレディとして働いていました。当初は「ヤクルトおばさん」と呼ばれ、83年ごろからヤクルトレディと呼ばれ始め、94年ごろにほぼ統一されたといいます。

ヤクルトレディは多くが雇用関係ではありません。個人事業主として販売手数料を得る形で働いています。販売できなければ収入が得られないため、必死で働かざるを得ません。そして、頑張った分だけ収入が上がるためモチベーションは高いといいます。

57年に初めて開催された「ヤクルト大会」もヤクルトレディのモチベーション向上につながっています。当初はヤクルトの普及に功績を残した営業所を都道府県単位で表彰するものでしたが、次第にヤクルトレディの表彰がメインイベントとなる大会に変わっていきました。現在は隔年で実施しています。

こうした施策が功を奏し、ヤクルトレディのモチベーションと販売力は向上していきました。69年3月から6月にかけてヤクルト本社がヤクルトレディの実態調査を行ったところ、平均年齢は37歳で、「仕事にやりがいを感じ、社会的にも意義があると感じ、良い収入源になる」と考える人が7割近くにも上ったといいます。

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