今回の紹介したトラズナー氏のトークは、高齢者をめぐるこれらあらゆる課題に一つの答えをだしています。
高齢者の労働意欲は、過去に積み重ねた経験と蓄積された知識とが融合したときに大きな力となるのです。
ここでも指摘されているように、高齢者が起業した場合、その成功率は若年層の起業よりははるかに高いはずです。
ただ、トラズナー氏のケースを考えるとき、そこには、高齢者の側にも心がけが必要だということも考えさせられます。
高齢者が新たな社会で活躍しようとするとき、彼らが陥りやすい過ちがあることを知っておくべきなのです。
まず大切なことは、過去の経験や蓄積、そして地位を「ひけらかさない」ことです。誰を知っている、何ができたということは、基本的には過去の勲章なのです。勲章は単なる飾りで、勲章をぶら下げている個人が時代から乖離していては、何の意味もありません。
また、その勲章は企業という組織があってこそ尊重されていた「ブリキの勲章」かもしれないのです。
課題は、そうした勲章をプレゼンして回るのではなく、他に働きかける前に、自らがそうしたネットワークから新たなものを掘り起こして、事業にしてゆく姿勢が大切なのです。
勲章を押し付けられ、それが受け入れられず逆ギレしたり、相手が断るに断れず、その人を困惑させ、その結果そんな相手を曖昧だと責めたりでは、健全なビジネスの運営はできません。
私の知人で、元有名な新聞社の幹部だったという人がいました。彼は、その勲章を元に、多くの人を紹介するのですが、紹介された人も、そうした人を連れて来られた我々も却って厄介なこととなっている事実に本人は気付きませんでした。
こうしたことを自省し、過去の勲章を捨てる勇気が必要です。その上で、本人に意欲があるならば、高齢者は日本の未来にとって、最も有用な労働資源であり、経済資源となれるのです。
アメリカでは、60代どころか80代になっても、ぎらぎらとした目でビジネスを語る人を多く見受けます。そうした人の多くは、過去の自分のストーリーではなく、現在のアイディア、ビジョンについて語ります。
そうすれば、誰も高齢者のレッテルは貼らないのです。もっというなら、ビジネスにとって年齢を設定すること自体age discrimination(年齢に対する差別)として処罰されます。
ですから、一旦ビジネスの場に立てば、老若関係なく、平等な扱いを受け、あとは結果をもって評価されるのみというのが、アメリカの競争社会の現実です。
では、体力はどうなんだという人もいるでしょう。体力はもちろん年齢によって変わってくるでしょう。
しかし、それは体に障害のある人が平等に扱われなければならないという制度と社会常識で解決が可能です。自らの体力に合った起業やビジネスは、ネットワークさえすれば、必ず見つけることができるはずです。
日本人の年齢人口の逆ピラミッド化が、実は日本の未来にとって大きなチャンスでありうることを、我々はもっと認識していいのではないでしょうか。
「高齢者」という言葉で人を一括りにすることをやめたとき、日本の社会は思わぬチャンスを手にいれることができるのです。
image by:TED TALK