ある日、近所の寺で行脚の僧の読経を聞いていた尊徳は、村の和尚を掴まえて、「和尚さん、観音経の功徳というものは素晴らしいものですね。その意味はこういうことですよね」と話したというのです。僧の読経が一般的な呉音ではなく、理解しやすい国語であったとはいえ、和尚は尊徳の並外れた理解力に驚きを隠せません。尊徳を菩薩の再来と褒め称え、自分の代わりに僧になって大いに衆生済度の道を歩んでほしいとまで言わしめたというのです。
こうした背景には、『論語』をはじめとした古典の読書量が相当数あったことも関係していると思われます。子供の頃から、苦しみながらも読み書きを決して疎かにしなかったことが、尊徳の能力を開花させていったのです。
また、数多くの仕法から見て取れるのは、尊徳が数学的なセンスに優れていたことです。後に尊徳は小田原藩藩主・大久保忠真公から表彰を受けますが、その要因の一つとして挙げられた枡の統一もその証左と言えるでしょう。
それまで米なら米用の、醤油なら醤油用といった具合にバラバラだった枡を、尊徳は統一枡をつくることで合理化を図ったのです。
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