理由なき反自衛隊は止めよ。元陸自幹部が語る「利他愛精神」

2018.01.05
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大震災や水害等の被災地での活躍が報じられる一方で、憲法への明記を巡り大きな議論が巻き起こっている自衛隊。その存在自体が憲法違反とする意見も聞かれるほどです。しかし、元陸上自衛隊陸将補の作家・池田整治さんは無料メルマガ『心のビタミン』で、「自衛官は死と隣り合わせの職業であり、究極の利他愛精神で任務にあたっている」と、国民の一人ひとりがもっと評価・理解すべき点を記しています。

地球より重い命、その命より重い任務を背負っている

かつて日本では、テロリスト集団であった日本赤軍によるダッカでの日航機ハイジャック事件で、犯人側の要求をのんで獄中の仲間を釈放したことがあります。時の福田首相がその時に記者会見で述べたのが、「人の命は地球より重い」という言葉です。もっともその後釈放されたテロリストたちがイスラエルの空港で無差別銃撃事件を起こし、テロに屈した日本政府の対応が問題視されました。

ところが、自衛隊ではその命より重いモノを背負って行動します。それは、「任務」であり、「」あるいは「国民」です。任務に伴って、万一の時は自らの戦死殉職)」を前提とする職業、それが自衛隊です。

約6,400名の尊い命が犠牲となった阪神淡路大震災。その被災直後の神戸でのことです。地震は、1995年1月17日のまだ暗い5時46分という早朝に起こりました。犠牲となられたほとんどの方が、寝たままの状態で突然に家屋等の下敷きになりました。救助するためには、崩れた建物の中に突入しなければなりません。大きな余震も頻繁に起こっています。

命からがら路上に災難から逃れた人のところに、消防や警察のレスキュー隊がまずやってきました。「建物の中に家族がいる!」と助けを求めます。レスキュー隊には高度な救助専用の機材もあります。しかし、レスキュー隊員は、路上の瓦礫等を取り除きながらの救助活動は迅速に行うものの、建物の中には入りません。余震が続き、壊れかけた家屋がいつさらに崩れるかわかりません。こういう状況では、レスキュー隊の救助には限界があります。何故ならレスキュー活動の原則は、二次的被害を絶対に出さないこと、つまりレスキュー隊員自体が絶対に犠牲にならないことなのです。いくら救助しても、そのために犠牲者を出しては、レスキュー活動は失敗となります。路上近くの救助を終えるとレスキュー隊は次の地点に移動します。

そこに、災害派遣の要請を受けた自衛隊がやって来ました。古いトラックから降りてきた若い自衛隊員たちが持っている救助資材はスコップだけです。それでも住民から状況を聞くと、若い班長が自らスコップで入り口を作り腹這いになって建物の中に突入します。それに隊員たちが続きます。やがて、先頭の班長が「引け!」と号令をかけます。前の隊員の足をつかみ、外の人間が順次「ごぼう抜き」するわけです。この間、路上のご家族は、「どうか余震が起こりませんように」と手を合わせて祈ります。やがて、班長の手に引かれて、家族の方が助け出されます。「やった!」「ありがとうございます!!」

もともと神戸地区は反自衛隊雰囲気の強い街でした。防災訓練で担任の自衛隊が参加したこともありませんでした。呼んでもらえなかったのです。その象徴的な出来事がありました。若い反戦・反自衛隊活動家グループが、ビラを配っています。情報収集のためいただくと「自衛隊は憲法違反です自衛隊からご飯をもらわずがんばりましょう!」と書かれています。

でも、自衛隊は、被災者が反自衛隊であろうが、親自衛隊であろうが、全く関係ありません。すべての人を、命をかけて救助し守ります。そこには、浅薄な人間のイデオロギーを超えた、深い人間観に基づく利他愛につながる使命感があるからです。

このような命がけの救助活動をするうちに、被災者の間に自衛隊に対する感謝の気持ちが醸成されてきました。やがてそれは自衛隊の宿泊所となった王子動物公園の電信柱に、「自衛隊さんありがとう!」というビラが貼られるという形になって現れてきました。「存在を認められる」自衛隊から、「行動して評価される自衛隊へと転換された歴史的瞬間です。

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