現実を帯びてきた日本の「9条改正」論議、与えられた選択肢は3つ

 

まず、9条加憲案ですが、簡単に言えば「日本は平和主義である『けれども』自衛隊は設けていい」というロジックです。例えば3項として「前2項は自衛隊の設置を妨げない」というような条文が検討されているようですが、これでは、自衛隊は、その「9条1項2項の精神に基づいて設置」された存在ではなく、9条の精神に「もしかしたら反するかもしれないが、許容されるもの」、つまりは「例外的な存在」として定義されることになります。

このような改正では、安倍総理の問題提起、つまり「危険覚悟で防衛や防災を任務としている自衛隊が違憲だと言われる現状からは全く改善されていないことになります。組織としての自衛隊も、個々の自衛隊員も、憲法から見れば「例外」という存在になるわけで、自衛隊と自衛隊員へのリスペクトは十分には感じられません。更に、「例外規定」としての「自衛隊合憲化」を行ってしまうと、憲法としての歯止めがなくなるという問題が生じます。

2点目の正規軍化ですが、これは「国のかたち」の変更になります。これをやってしまうと、もはや「平和主義」を国是とするという看板は降ろさなくてはなりませんし、周辺国には軍拡の口実を与えることになります。それ以前の問題として、こんな「改憲案」を国民投票にかけるような事態となれば、国論は二分して経済政策などが停滞する懸念があります。何よりも、国民投票での可決成立の可能性が薄く、従って、政治的には大ギャンブルになるでしょう。

3点目の「立憲主義に沿うように詳しく条文化」というのは、一見するとリベラルであり、平和主義的であり、筋が通っているように思えます。例えば、2013年民主党時代の枝野氏が提案した9条への加憲」というものがあり、3項として次のような長文を挿入するという案になっています。

(自衛権の行使とその要件)

第9条の2 我が国に対して急迫不正の武力攻撃がなされ、これを排除するために他に適当な手段がない場合においては、必要最小限の範囲内で、我が国単独で、あるいは国際法規に基づき我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を守るために行動する他国と共同して、自衛権を行使することができる。

2 国際法規に基づき我が国の安全を守るために行動している他国の部隊に対して、急迫不正の武力攻撃がなされ、これを排除するために他に適当な手段がなく、かつ、我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全に重大かつ明白な影響を及ぼす場合においては、必要最小限の範囲内で、当該他国と共同して、自衛権を行使することができる。

3 内閣総理大臣は、前二項の自衛権に基づく実力行使のための組織の最高指揮官として、これを統括する。

4 前項の組織の活動については、事前に、又は特に緊急を要する場合には事後直ちに、国会の承認を得なければならない。

(国連平和維持活動への参加協力)

第9条の3 我が国が加盟する普遍的国際機関(*1)によって実施され又は要請される国際的な平和及び安全の維持に必要な活動については、その正当かつ明確な意思決定に従い、かつ、国際法規に基づいて行われる場合に限り、これに参加し又は協力することができる。

2 前項の規定により、我が国が加盟する普遍的国際機関の要請を受けて国際的な平和及び安全の維持に必要な活動に協力する場合(*2)においては、その活動に対して急迫不正の武力攻撃がなされたときに限り、前条第一項及び第二項の規定の例により、その武力攻撃を排除するため必要最小限の自衛措置をとることができる。

3 第一項の活動への参加及び協力を実施するための組織については、前条第三項及び第四項の例による。

(*1)現状では国連のこと

(*2)多国籍軍やPKO等、国連軍創設以外の場合

とにかく、解釈改憲などが必要ないように、何でも書いておこうということです。そして「ちゃんと憲法に書いておいて、その通りにするのであれば立憲主義が機能する」という、ある意味では「憲法原理主義」のような考え方になっています。

この枝野式(あるいは山尾式なのかもしれませんが)ですが、2つ大きな問題点があると思います。まず、詳しく条文化するというアプローチの問題です。何よりも、日本国憲法について、「国のかたち」を定める機能から踏み込んで、非常に具体的な、例えば「ナントカ基本法」のレベルまで書き込むというのであれば、9条だけでなく全部を書き換えなくてはなりません。そうでなければ、全体の構成感を大きく損なうことになります。

また、具体的に書けば書くほど「再度の改憲への敷居を低くする」という問題が起きてきます。例えば、この2013年の私案では、「PKFはフル参加」で「有志連合参加時は正当防衛しかダメ」というような「歯止め」がセットされています。興味深い考え方ではあるのですが、こんな詳しいことまで憲法の条文にしてしまうと、国際情勢が変化したり、国内の政治力学が変化した場合に再改憲の可能性は高くなり、結果として憲法が非常に軟性になってしまう危険があります。

更に問題なのは、国連以外の集団安全保障を否定する考えが自動的にセットされているという点です。日米同盟については、左派の考え方としては「悪しき侵略戦争に巻き込まれる」という警戒感から「左のナショナリズム」による批判があるわけです。ですから、現時点では平和主義にもとづく中立を想定しているかもしれませんが、情勢の変化によっては「武装孤立」という大戦末期のような最悪の状況を作り出す危険性もあるということです。

そんなわけで、これらの3つのアプローチについては、いずれも、かなりの難点を抱えていると言わざるを得ません。

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