どん底から大復活~激変する西武、謎の絶品列車
東京・西武新宿駅のホームに入ってきたのはカラフルな列車。今、話題の特別列車だという。中はまるでレストランのような空間。貸し切りで走る観光列車なのだ。
終点・秩父までの2時間半を、コース料理を楽しみながら過ごす日帰りの旅「西武旅するレストラン 52席の至福」。キッチン車両で作るのは、腕利きのシェフによるこだわりのフレンチだ。おいしい料理と風景をゆったり味わえるこの列車に、予約が殺到しているという(ブランチコース1万円、西武線1日フリー切符付き)。
到着した西武秩父駅にも、最近、人気の施設がある。日帰り温泉「祭の湯」。秩父の山並みを眺めながらゆったりと旅の疲れを癒すことができる天然温泉だ。様々な風呂を楽しめて980円(大人・平日)。風呂上りの客を待ち構えるのが、秩父のうまいものが集まる「ちちぶのみやげ市」。名産「しゃくし菜」の漬物も置いてある。
そんな新たな魅力で秩父を生まれ変わらせているのが西武グループ。魅力ある施設で客を呼び込む西武ホールディングス社長、後藤高志は「どうすればお客様に喜んでいただけるか、いつも考えています」と言う。
首都圏を走る西武鉄道に全国のリゾート開発、そしてプリンスホテルを展開する巨大グループ、西武。しかし2005年、その西武を衝撃のニュースが襲う。世界の長者番付に載るほどのカリスマ経営者、西武グループを作りあげた堤義明氏の逮捕だ。
当時、有価証券報告書の虚偽記載など様々な不祥事が明るみになり、西武は存続の危機に立たされる。全国各地にホテルなどをつくり、その有利子負債は1兆4000億円にまで膨らみ、2004年には上場廃止に追い込まれた。
そんな大混乱に陥った西武に、メインバンクのみずほから送り込まれたのが後藤だった。
そして打ち出した復活戦略が、「選択と集中」ならぬ「峻別と集中」だった。
「よく経済学の本では『選択と集中』という言葉が使われますが、僕は選択なんて生易しいのはダメだ、峻別だ、と。あえて厳しい言葉を使って改革を実行したんです」(後藤)
その言葉の通り、後藤は全国160を超えるホテルなどの事業所を回り、徹底的に物件の価値を精査する。最終的に70にも及ぶ事業所の削減を断行した。
例えば利益の出ていなかった「旧箱根プリンスホテル別館」も峻別の対象となり、2012年に営業を休止した。元ホテルスタッフの稲葉健二は「やはり自分が働いているところがなくなって、つらいですね」と語る。
だが後藤は、峻別によってホテルを30棟減らしたにもかかわらず、プリンスホテルの売り上げをV字回復させるという離れ業をやってのけた。
上場廃止から大復活~プリンスホテルの復活戦略
都心から車で1時間ほどの「大磯プリンスホテル」。夏場は客で賑わう人気スポットだが、夏にしか稼げないホテルだった。ところが今、そんな大磯に、冬にもかかわらず大量の客が押し寄せるようになった。
今年新たにできたのはオーシャンビューのスパリゾート施設。お湯につかると、まるで海に浮いているかのような感覚が味わえる。後藤は「大磯プリンス」を、海を見ながらサウナやジャグジーまで楽しめる、冬にも行きたいリゾートへと変貌させたのだ。
一方、80年代に空前のスキーブームを巻き起こした西武の苗場スキー場。当時、映画『私をスキーに連れてって』が大ヒット。ユーミンのヒット曲が流れるゲレンデは、出会いを求める若い男女で埋め尽くされた。
ところが今、苗場スキー場のゲレンデは、どこもかしこも子供連れの客ばかり。若者のスキー離れを受け、「苗場プリンスホテル」は、ターゲットをカップルからファミリーに切り替えたのだ。かつて若い男女で賑わったプールは取り壊わされ、まだスキーの滑れない子供でも楽しく上達できるスキー教室「苗場パンダルマンキッズスクール」(受講可能は3歳~)の施設に。また、小学生までのリフト料金を業界で初めて無料にするなど、様々なサービスで新たな客層を呼び込んでいるのだ
そして後藤の西武改革の集大成が、東京・千代田区に去年建った「東京ガーデンテラス紀尾井町」だ。
かつてここにあったのは赤プリこと「赤坂プリンスホテル」。設計は世界的建築家の丹下健三。80年代にはクリスマスを恋人と過ごすために男たちが予約を争ったホテルだ。しかしバブルの崩壊とともに収益は悪化。2011年、西武は赤プリの解体を決定した。
「単純にホテルを建て替えるだけだと価値が高まるわけではありません。都心の一等地にあるのだから、複合再開発をやろう、と」(後藤)
後藤は立地の良さを最大限に生かし収益性の高い複合ビルへと変貌させる。高級賃貸マンション「紀尾井町レジデンス」を併設し、オフィスは24フロア。現在、年商8000億円のヤフージャパンが入居している。そして上層階は赤プリを受け継ぐホテル、「ザ・プリンスギャラリー東京紀尾井町」だ。
そのフロントは36階。競合に負けない高い稼働率を誇る高級ホテルだ。最上階にあるツインルームは1泊6万6528円。部屋のあらゆる設備を、端末で簡単に操作できるハイテク仕様になっている。さらに海外の高級ホテルでは当たり前の高い天井も確保した。
最大の自慢が壁一面の巨大な窓。後藤一押しの窓からは、都内屈指の夜景が満喫できる。
「景色が額縁の中の絵のようなので、『ギャラリー』という名前を付けたんです」(後藤)
1~4階にレストランやカフェなど30以上の商業施設をテナントに入れたこのビルは、今、赤プリ時代の5倍の利益を生み出している。一時代を築きながらも、いつしか時代に取り残されていた全国のプリンスホテルに、後藤は現代のニーズに合わせた大胆なリニューアルを施し、新たな価値を生み出してみせたのだ。
「峻別して、集中する事業所については、バリューアップをスピード感をもってやろう、と。それぞれのホテルがしっかりと、西武グループの成長戦略を担ってくれていると思います」(後藤)
2014年4月、執念の改革に明け暮れた西武に念願の日が。9年ぶりとなる再上場を果たしたのだ。いつにない後藤の笑顔が、厳しかった道のりを物語っていた。
指示待ち族が激変~やる気を生んだ意識改革
復活を遂げた西武の改革を象徴するのが「グランドプリンスホテル新高輪」で人気を呼んでいるビュッフェレストラン「スローブサイドダイナー ザクロ」(ランチブッフェ4400円/大人、平日)。人気の秘密はそこかしこにいる大勢のシェフたち。目の前で熱々の料理を作ってくれるライブ感覚のビュッフェだ。
実はこのユニークなスタイルは現場のシェフが考えたものだという。料理長の板橋重朗は「スタッフと意見交換して新しいメニューを作っています。みんなの意見があるからレベルもアップしていく」と言う。
様々な改革のアイデアを率先して現場に任せてきた後藤。そんなやり方を始めたのは、西武に来た当初、現場を回る中で社員たちのある意識に驚いたからだという。
「西武グループには真面目で実直な人が多いのですが、自分で考えてリスクを取って実行することについては非常に臆病でした」(後藤)
「赤坂プリンス」で20年以上働いていたという「ザ・プリンスギャラリー東京紀尾井町」の大森伸翁総支配人は「自分で『こうしたほうがいい』と、声を大にして言った記憶がないです。指示待ちの体制だったと思います」と言う。
それは長年、西武に君臨した堤によるトップダウン経営の弊害。そんな指示待ち族だった社員の意識を変えるために後藤が始めたのが、現場社員に新規事業を企画させる「ほほえみファクトリー」だった。
「ひとりひとりの人材を活性化することが絶対に必要だった。それはもう、全然変わりました」(後藤)
客を笑顔にする様々なアイデアを部署の垣根を越えて自分たちで実行に移す。これを繰り返すうちに、指示待ち族が改革の戦力に変化していったという。実際、今、西武の現場では、自立した社員たちが様々なサービスを生み出している。
例えば、若くして料理長に抜擢された「グランドプリンスホテル京都」の野口紗和子もその一人。季節ごとに近隣の農家を訪ね、今までにない地域色豊かなメニュー作りに励んでいる。
一方、苗場のスキー場をユニークなアイデアで盛り上げようと奔走しているのは、企画担当の今泉超利だ。苗場のSNSで「いいね!」が3万人になったらナイター営業を決行するという。12月9日。苗場のゲレンデにナイターの灯がともった。「いいね!」の数が3万人を超えたのだ。
「お客様と直接会って、私たちがやりたかったことが伝わったのが感じられた。面白いですね」(今泉)
かつての指示待ち族が企業の生き残りに挑み、客を掴む新たな魅力を生み出していた。
~村上龍の編集後記~
以前、取材で某大手企業を訪ねた。役員専用のエレベーターとフロアがあって、ここはダメだなと直感的にそう思った。
今回、後藤氏とカサノバさんと会い、理由がわかった。経営陣と現場が構造的に遮断されている会社は必ず没落する。
西武ホールディングスもマクドナルドも、見事にどん底からの復活を遂げたが、それは奇跡などではない。
お二人とも、企業にとってもっとも重要で普遍的なことを実行した。つまり実際に現場に行き、従業員と徹底して話し合った。
会社を支えるのは人であり、その真理は戦国時代から不変だ。
<出演者略歴>
サラ・カサノバ 1965年、カナダ生まれ。1991年。マクドナルド入社。2004年、日本マクドナルドマーケティング部長。2014年、日本マクドナルドCEO就任。
後藤高志(ごとう・たかし)1949年、東京都生まれ。1972年、第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。2006年、西武ホールディングス社長就任。
source:テレビ東京「カンブリア宮殿」