【書評】トランプもプーチンも習近平も演説に外国語を使わない訳

shibata20180302
 

文化、文明、共産主義に共和国…。これらは皆、外国語を漢字に直した日本製の「造語」であることをご存知でしょうか。教養のあった明治時代の日本人はかように西欧の概念を日本語に訳して取り込んできました。翻って現代、政治家も平気でカタカナ語を「濫用」しますが、その理由は? 今回の無料メルマガ『クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】』の編集長・柴田忠男さんが取り上げている一冊に、その答えが記されています。

shibata20180302-s管見妄語 常識は凡人のもの
藤原正彦・著 新潮社

藤原正彦『管見妄語 常識は凡人のもの』を読んだ。週刊新潮連載管見妄語2016.10~2017.10をまとめたものだ。相変わらずのいやみでない自慢と、あまり重くない悲憤慷慨と、教育に関する重要な指摘と、日本と日本人への警告と、ちょっといい話と、トホホな話と、読ませる読ませる。

カタカナ英語の氾濫にイライラすることが多いという。まったく同感であります。幕末から明治の日本人は西欧の概念を一つ一つ漢字に直した。文化、文明、民族、哲学、物理、進化、民主主義というように見事な造語だ。これらは中国人留学生によって中国に伝わった。共産主義、人民、共和国だって日本製だ。

現代日本人は漢語の素養に欠けていて造語できないから、カタカナ語がはびこることになる。困ったことに、カタカナ語を格好いいと考える人が多い。最近ではコミットメント、アジェンダ、エビデンス、アサインなど見苦しい、聞き苦しい言葉が使われている。約束・関与、議題、証拠、割り当て、と言えって。

とくに嫌悪感あるのは都民ファーストとやらの小池都知事のカタカナ語。「目標はサステイナブルな首都東京を創り上げること、セーフシティ、スマートシティの三つのシティの実現」とか「ハード面のレガシーだけでなく、ソフト面のレガシーを構築」って、英語が堪能な藤原先生でも理解不能で、頭を抱える。

難しい英語を会話の中で普通に使って、教養や国際性が豊かなんだろうなと、思わされる人も多いらしい。「だからカタカナ語を頻用する人は『優れているように見せたい人』、すなわち『確固たる自信のない人』と思ってよいだろう」。小池英語は「発音はいいが、単語の選択の拙さなど達人とはとても思えない」

流暢な英語と国際性、教養は無関係なのはいうまでもない。「はっきり言うと、99.9%の日本人にとって『流暢な英語と豊かな教養は両立しない』のである。両立している人は稀有なのだ。日本人にとって英語の習得は余りに難しく、ものにするには若い頃の読書をかなり犠牲にしなければならないからである」

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