読者から多くの反響があった、前回の記事「今だから、あの「ライブドア事件後」の真実について話そうと思う」に続き、あの「ライブドア事件後」の真実についての連載している、メルマガ『銀行とP&Gとライブドアとラムチョップ』。この著者で、ライブドア事件後の再建に尽力したメンバーのひとりである高岳史典さんは、事件後によく人から聞かれる創設者の堀江貴文さんのこと、そして自身がライブドアの一員になるまでのエピソードを赤裸々に綴っています。
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真実
事件後の営業現場で奔走していた頃、どこか遠慮がちにクライアントさんから堀江さんに関する質問をされることが実はよくありました。
「一緒に働いていたのですか?」
「事件のときはどうでした?」
「あのあと大変じゃなかったですか?」
etc.
僕自身は残念ながら堀江さんと働いたことがないので、「あのあと大変だった」ことしかわからなかったのですが(苦笑)、当時堀江さんに関する質問や話題は何らNGではありませんでした。
実際、堀江さんのブログやツイッターをフォローしている社員はたくさんいたし、社内で自然に名前があがることもしばしばしでした。
誤解無きようにいえば、事件後の記者会見の様子でも記したように、新生ライブドア社は事件に対する猛省を常に意識し、それによって下された社会的処罰に対しても真摯に受けとめていました。
ただ、会社を創った人に対する素直な想いは別物であり、それは決して禁じ得ないことなんじゃないかと。「技術のライブドア」の源流は、やはり技術者だった創設者の堀江さんであることは間違いなく、その意味でのDNAは確かに受け継がれていたのです。
じゃあ、堀江さん自身は事件後のライブドアやそこに残った社員についてどう思っていたのか?
もちろん僕は堀江さんじゃないから彼の本当の心のうちまではわかりません。
でもここに僕が見て、体験した、間違いない真実があります。
ご存知のように堀江さんは刑事訴訟に対して最後まで無実を主張、実刑判決を受けます。
一方で、法人であるライブドア社(正確にはライブドア・ホールディングス社/LDH社)と堀江さんの間にも民事訴訟が起こっていました。
端的にいえば、事件によって様々な訴訟を抱えることになったLDH社が、元代表取締役である堀江さんを訴え、賠償を含む経営責任を問うていたのです。
そしてここにおそらく世間一般の堀江さんに対する誤解があります。
堀江さんは、刑事事件と違って、当初から社長としての会社に対する経営責任は認めていました。
即ち、刑務所に入れられるような犯罪を犯したことは明確に否定しつつ、自分の創った会社や社員に対する責任は全うしようとしていたのです。
ならばなぜ訴訟になったかというと、会社として元代表取締役を公に訴えその責任を問うことが、当時の株主に対する責務だったからです。
実際、その訴訟は2009年に堀江さんが当時の自身のほぼ全ての個人資産である208億円という巨額を支払う形で和解となります。
ちなみに、これも往々にして誤解されているのではっきり言っておきますが、堀江さんが隠し口座にお金を持っていて刑務所から出てきた後にそれを元手にした、などという論は馬鹿げています。
この和解時には本当にほぼ全ての資産を払ってもらいました。そうでないと当時のファンドを含む株主が納得しなかったからです。(「ほぼ」というのは彼が運営していた会社等が継続できる最低限の金銭等を残して、ということです)
つまり、堀江さんの今の活躍は、ライブドアで成した資産を一度「0」(あるいはマイナス)にリセットされた後に、自分で成し遂げているものです。
なぜ上記のようなことを僕が言えるかって?
それは僕がLDHサイドの訴訟担当者だったからです。
ここに和解時に堀江さんが自身であげたブログがあります。
訴えていた側の担当者として、ここに書いてあることが全て「真実」であるとはっきり言えます。
堀江貴文『株式会社LDH(旧株式会社ライブドア)との訴訟上の和解について』
いかがでしょう?
堀江さんに対する印象が変わったという方もいらっしゃるのではないでしょうか?
現在の堀江さんと僕との関係はただの「飲み友達」。
人に僕を紹介するときに「この人に訴えられて大変だった」というセリフから入るのには辟易してますが(笑)。
そして僕は、彼が1度たりとも、事件後のライブドアやそこに残った社員のことを悪く言ったことを聞いたことがありません。
1度たりとも。