商社マンからフリーターへ。哲学者・小川仁志を転落へ導く天安門

2018.03.12
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今まで100冊以上の著書を出版し、NHKの番組で哲学を知らない人たちに向けてわかりやすく名著を紹介したことでも話題になった哲学者の小川仁志さん。しかし、そんな小川さんの半生は実に波瀾万丈そのものでした。変わり者だった幼少期から合コンキングと呼ばれた京都大学時代、その後、伊藤忠商事へ入社しエリート商社マンに。しかし、順風満帆と思われた人生の歯車は、ひょんなことから狂い始めたのです……。

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プロフィール:小川仁志(おがわ・ひとし)
1970年、京都府生まれ。哲学者・山口大学国際総合科学部准教授。京都大学法学部卒、名古屋市立大学大学院博士後期課程修了。博士(人間文化)。米プリンストン大学客員研究員等を経て現職。大学で新しいグローバル教育を牽引する傍ら、商店街で「哲学カフェ」を主宰するなど、市民のための哲学を実践している。2018年4月からはEテレ「世界の哲学者に人生相談」(木曜23時〜)にレギュラー出演。専門は公共哲学。著書も多く、海外での翻訳出版も含めると100冊以上。近著に『哲学の最新キーワードを読む』(講談社現代新書)等多数。 ブログ「哲学者の小川さん

小川仁志の情熱人生―挫折、努力、ときどき哲学 第二回

商社マン時代の小川仁志

前回は幼少期から就職するまでを一気にご紹介しましたが、今回はわりと短い期間のお話しをしたいと思います。おそらく5回の連載の中で実際の期間としても一番短い、わずか3年半ほどの年月の間に起こった出来事についてです。

しかしこの3年半は、私の人生にとってとても大きな意味とインパクトをもつ時期となりました。1993年4月に伊藤忠商事に入社して、退職するまでの期間です。よくある「若者はなぜ3年で会社を辞めるのか」みたいに聞こえるかもしれませんが、それとは少しわけが違います(と個人的には思っていますが、同じなのかもしれません)。

商社を選んだのは、正直かっこよさです。世界を飛び回って24時間働く商社マン、かっこいいじゃないですか。でも、当然ながら、そんなにかっこよくなれるのはもっと経験を積んでからで、ビジネスのイロハも知らない私には何もできませんでした。もっとも、仕事はそこそこでしたが人との出会いには恵まれました。合コンの話じゃないですよ。

優秀な先輩や上司、時には歴史的人物といってもいいような人に出くわすことさえありました。瀬島龍三さんもその一人です。当時はまだご存命で、たしか顧問をされていたかと思います。大本営作戦参謀中曽根政権のブレーンなども務めた伝説の商社マンで、山崎豊子の『不毛地帯』のモデルともいわれています。その瀬島さんと、たった一度だけですが言葉を交わす機会さえありました。後に民間初の中国大使になられた丹羽宇一郎元会長も、当時業務部長をされていたように記憶しています。そんなすごい人たちのいる職場で働けるのは、たしかに幸せでした。

そして何より幸せだったのは、100人以上もいる同期たちみんなと仲が良かったことです。特に社員寮で共同生活をしていたので、寮に住んでいた同期はもう家族同然です。一緒にお風呂に入り、ご飯を食べ、飲む。当時は寮祭というのがあったのですが、その実行委員長も買って出て盛り上げました。彼らとは今も会って飲むことがあります。一生の宝です。

そんな楽しい商社マン生活でしたが、学生時代にさぼり続け、なんの取り柄もなかった私は正直焦っていました。同期の中には語学が良くできて、早くも海外へ出張したり、活躍している人がいました。そこで私も注目を浴びつつあった中国語の語学研修に手を挙げたのです。すると、運よく2年目から台湾で勉強させてもらえることになりました。しかも1年間も。その後は北京で働くことになっていました。

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