北京での生活が1年たって東京に戻ると、しばらくして私は会社に辞表を提出しました。当時の上司はとても人望のある人で、親身になって慰留してくださいました。後に社長になる小林栄三さんです。円満に退職できたのも、小林さんのおかげです。私が哲学者になってから著書をお送りしたところ、とても喜んでいただけました。なんとか今活躍できているというのが、せめてもの恩返しです。
将来社会を変えることをメールで宣言し、かっこよく退社した私は、本当のところまだ何も決めていませんでした。とりあえず台湾の陳水扁のように人権派弁護士になって、日本社会を変えてやろうくらいは思っていましたが。資金も用意していなければ、司法試験の学校に行くのでもない。客観的に見ればただのフリーターになってしまったのです。
でも、気持ちは充実していました。人生で初めて自由を手にした気がしたからです。会社で働いてから辞めるのでなければ、あの自由の感覚は味わえないものです。学生が感じる自由とはわけが違います。ただ、その自由の重みに耐えられなくなるのは時間の問題でした。
かつてフランスの哲学者サルトルはこう喝破しました。「人間は自由の刑に処せられている」。この言葉の意味が本当にわかるようになるまでに、私は文字通り血を流すことになりました……。(第3回へ続く)
image by: shutterstock.com