子どもにとって「自由なクラス」が必ずしも良い環境ではない理由

shutterstock_177956345
 

子どもたちが話し合って決めたはずの学級ルールが守られない…ということはありませんか? うちは自由な校風だから子どもたちの自主性に任せれば大丈夫、などと考えて安心してしまうと思わぬ落とし穴にハマることがあるようです。では、子どもたちが納得しつつ意欲を持ち、自主的に取り組むために欠かせないこととは何でしょうか? 現役教師の松尾英明さんが実践にもとづくアドバイスをしてくれる無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』で学んでみてください。

納得感をもったルールのもたらす緊張感と安心感

ルールと自由についての考察。尊敬する、原田隆史先生の言葉。

仕事をする上での必要不可欠なルールから、お互いが気分良く仕事に取り組めるような決まりごとまで、組織に所属する人々が納得感を持って、自主的に、しかし意識的に取り組む約束事やルールは、職場に適度な緊張感と安心感を与えるのだ。居心地の良さは、決まりごとが少なく、自由に過ごせるという環境から生まれるのではないのである。

心の底から、納得である。特に最後の一文。これまで何度も述べている通り、自由という言葉は使い方を間違えると危ない。

例えば路上を通行するのも、きまりごとやマナーが数多くある。歩道一つとっても、歩行者と自転車は分けられているし、様々な規制・規則がある。交通ルールを破ったり路上で横暴をしたら、いつ警察に捕まるか分からない。近くを通りかかった一般の人に注意されるかもしれない。だからこそ、安全が担保されていて、安心して通行ができる。

交通ルールの存在には、納得感がある。ここがないと、混乱して危険だらけになるのは目に見えているからである。お互いに交通ルールを守れば、誰しもが快適に通行できるとわかっているからである。警察の存在には、安心感がある。いざとなったら悪をくじき、困っている人を助けてくれるからである。逆にいえば、自分が法を侵すようなことをすれば、悪としてくじかれることも承知である。適度な緊張感と安心感を与えてくれる。

教室にも、適度な緊張感と安心感が欲しい。そのためには、子どもたちが納得感をもって自主的に意欲的に取り組む約束事やルールが必要である。例えばクラス会議などは、それを実現する有効な手立てとなる。一見厳しいようなルールでも、子どもたちが納得感をもっているものであれば、進んで従うものである。クラス会議で子どもが作ったものには、過度に厳しいものが含まれることがある。しかし、無理のあるものは、自然淘汰されるので、あまり心配せずとも大丈夫である。

そして、しっかりと見守る教師がいるからこそ、子どもに安心感が生まれているという事実から目を逸らさない。自由な学級という耳に心地よいフレーズばかりにとらわれて、するべき指導を躊躇すれば、そこが小さな穴となる。どんな立派な城も、最初の小さな穴から崩れる。穴が空いても埋めようとすればいいのだが、放置しておけば穴はどんどん広がり、新しい穴もできる。いくら子どもたちが納得して決めたルールだからといって、全員が必ず守るとは限らない。「決めたルールは守る」ということを見守り担保してくれる存在が必要である。

print
いま読まれてます

  • 子どもにとって「自由なクラス」が必ずしも良い環境ではない理由
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け