ところで、今回、財務省が決裁文書の「書き換え」を認め、公表したのは、大阪地検特捜部から朝日新聞が情報を得ている可能性が強いと判断したからではないだろうか。
大阪地検のリークの可能性については先週号の当メルマガでふれたが、ここにきて日経新聞が次のような記事を掲載した。
財務省の決裁文書が書き換えられた問題で、疑惑が表面化する前に大阪地検特捜部が書き換えを把握し、財務省職員に経緯の説明を複数回求めていたことが13日、関係者への取材で分かった。
(3月13日、日経電子版)
「関係者への取材で分かった」というのは、おそらく日経の記者が検察幹部への夜回りなどで得た情報だということを意味するのだろう。
これがただちに朝日へのリークがあったことを裏づけるものではないが、少なくとも検察サイドが財務省の公文書管理に重大な関心を寄せていることがうかがえる。
改ざん前の決裁文書公表に当たっては、事前に事務次官あたりが佐川氏に話をしたであろう。国税庁長官の座を追われたというより、佐川氏がマスコミや野党の激しい追及から逃げ出した側面があるのも事実だ。
自公両党は、昭恵夫人の証人喚問を拒否する姿勢こそ継続するものの、「民間人になったから」と渋っていた佐川氏の喚問については検討する方針だという。
今の安倍政権の眼目は、いかにして森友文書改ざんを財務省だけの問題に封じ込め、首相に火の手が及ばないようにするか、ということであろう。
もし国会招致されるとしたら、自分のためにも佐川氏は知っていることを洗いざらいぶちまけるべきだ。政治権力が行政を歪める構図は、加計学園疑惑と同じである。
第二次安倍政権の発足後、内閣人事局が幹部官僚の人事権を握るようになった。だからこそ、首相と側近たちはそれまで以上に“私”を捨て“公”に尽くす姿勢を持たねばならない。だが、安倍政権には“私”が、あまりにのさばっている。