日常的にうまくいかないと「戦いの本能」がむき出しになりやすい

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人間には、そもそも「戦いの本能」があり、そのおかげで今まで生き残ることができたともいえます。しかし「平和な現代」においては、この本能を上手にコントロールしなければなりません。今回の無料メルマガ『セクシー心理学! ★ 相手の心を7秒でつかむ心理術』では著者で現役精神科医のゆうきゆう先生が、議論の場において、相手を説得することよりまずは受け入れることの大切さを説いています。

戦いの本能には気をつけろ!

突然ですが人間には、古来から「戦いの本能」があります。

この本能があるからこそ、様々な動物はもちろん、別の部族や敵などが攻めてきたときに、それを迎え撃ち、生き残ることができました。その本能がなかったら、攻められたときに「どうぞもう何でもしてくださいー!」なんて風に反応してしまい、間違いなく死に絶えてしまうことでしょう。その本能があるからこそ、ここまで生き残ることができたわけです。

そのため現在の我々にも、その本能は根強く残っています。しかし現在、戦争もなければ、恐ろしい猛獣が襲いかかってくることもありません。よってその本能は、まったく認識すらされないほど、ナリを潜めています。

仲良くすることが、実は勝利につながっている?

実際、戦いの本能は「原始的」なもので、逆に言えば、「戦う必要がない」のなら、出す必要はまったくないのです。それよりも「みんなと仲良くするコミュニケーション能力」や「みんなの喜ぶことをして、愛される能力」などの方がずっと大切です。

なぜなら、みんなが「仲間」であるのなら、その仲間の中で愛された方が、生き残る確率が上がるからです。たとえば宇宙人が攻めて来る、突発的に世界戦争が勃発する(ありえないとは言い切れません)などが万一起こったときに、愛されていれば、みんなが守ってくれる可能性もあります。

逆にノケモノにされていたら、一人で孤独に戦い、死んでしまうリスクもあります。平和時だからこそ「仲良くする」ことが、結果的に生存のために重要なのですね。

議論こそが実は戦い!

もちろん「とにかく戦う!」という本能は、平和な現在、表面的には表れていません。

しかし。それでも我々の中に隠れている本能は、そんなにすぐに消せるものではありません。その代表的なものが「議論」です。

誰かと主張が対立する。こういうことは多々あります。この場合に「自分の論理が通らない」というのは、まさに「戦いに負けた」ことと同義。本能ゆえに、それは決して許されないことなのです。

ゲーム「三國志」の中で、肉体派の武将同士は「一騎打ち」というバトルで戦いますが、知性派の武将同士は「論戦」というバトルで戦うのと同じです。たとえのせいで分かりづらくなったら申し訳ありません。

何にせよ、たとえ武器は「言葉」であっても、結果的に戦いそのものは「同じ」。負けるわけには行かないのです。

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