気になるのは周りとの意識の高低差だけ。意識高い系の悲しい正体

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2010年前後から爆発的に広がった「意識高い系」という言葉。意識を高く持つのは決して悪いことではないはずなのですが、なぜしばしばマイナスイメージを持って語られるのでしょうか。無料メルマガ『人間をとことん考える(人間論)』では著者で臨床心理にも詳しい薬剤師の小原一将さんが、改めて今、「意識高い系」の「高い」の意味について考察しています。

意識が高い人について考えてみる

意識が高い人とはどんな人を思い浮かべるだろうか。芸能人でも身近な人でも思い浮かべてもらいたい。おそらく、新しいことに次々とチャレンジして結果を出し毎日がキラキラして充実しているような人を想像することが多いだろう。

いわゆる意識高い系とも呼ばれるこのような人たちについて今回は考えてみる。良い意味でも悪い意味でも使われるこのラベリングは前から気になっていた。意識は常に高くあるべきなのか? 高いとはどのような意味か?

私の周りにはあまりいないので想像になるのだが、SNSを使って自分の日常を切り取って発信し、輝いている自分を自分の手の届く範囲内にアピールする人は意識高い系の人だと勝手に思っている。

先に断っておくがこれを悪いと言いたいわけではない。それぞれの生き方なので肯定も否定もしない。そっとタイムラインに表示されないように設定するだけだ。

このような人たちを意識高い系と言ったのは文字通り意識を高い場所に置きたい人たちだと思っているからである。高いか低いかというのは比較の表現であって絶対値があるわけではない。子どもにとって高いと思う位置と大人が高いと思う位置が違うようにその人の主観によって決まる。

つまり意識という自分の目線や価値観を周りよりも高い場所に置いておくことに幸福を感じる。くれぐれも周りと比べて高いか低いかが重要なのだ。

また、意識を高い状態に置いておきたい人はあくまでも現在の世の中のマジョリティである価値観からやや高い位置に自分を置いておきたいのではないかということも重要となる。

要するに意識は高いか低いかが重要であって、突拍子もない考え方やあさっての方向に意識を置くことは望んでいない。高いということが周りよりも一歩先を進んでいる証明になるのだ。

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