結局、あの「消えた年金記録問題」とは一体なんだったのか?

 

さて、歴史を遡ると今の厚生年金というのは昭和17年6月から始まりました。この時は手作業による紙台帳に記録され、昭和32年にはパンチカードシステムによる記録の機械化が始まり、昭和37年にはコンピューターの磁気テープによる管理が始まり、昭和61年にオンラインシステムによる記録の一元化が完成しました。まあ共済組合も最初は紙台帳による管理でしたね。

一方、保険料を支払う形の国民年金は昭和36年4月にできましたが、この時は市町村から交付された国民年金手帳に印紙を貼る方式で保険料が納められ、市町村で管理がされていました。昭和40年から磁気テープによる管理が行われて、昭和60年にオンラインシステムが完成。このような経緯を辿りました。

宙に浮いた年金記録問題の9割以上はさっきの職業が変わった時に新しい番号ができたとか、結婚前の旧姓のままとか、氏名の読み方が違うとか、生年月日が違ってたとかでした。また、紙台帳からコンピューターに移換されなかったり、職員が移換する際に氏名や生年月日性別間違っちゃったみたいな入力ミスがあったり、納めたはずの保険料が記録に残ってないとかいう事も多数あり、そういうのが「ずさんな年金記録」、「消えた年金記録」として大きく報道されました。

よって、記録を統合するために自民公明と民主党は多額の予算を投入した。宙に浮いた年金記録の突合作業と、平成19年から平成20年にかけて、被保険者と受給者合わせて1億1,000万人ほどの人に年金特別便というものが送られて、年金記録に漏れがありませんか? という確認が行われました。

それと並行して大急ぎで記録の突合作業が行われながら、年金記録が訂正されていって平成20年から平成24年にかけて約230万人の年金受給者の年金額が修正されて、統合により増えた年金は過去に遡って一時金で支払われた。その年金額は約1兆6.000億円にのぼりました。

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