天安門事件で学生を殺した中国共産党が、民主化の波に殺される日

 

2018年6月4日に「天安門事件」から29年目を迎えた中国ですが、2020年頃までに「大革命」が起きるとの予想もあるそうです。無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』の著者で国際関係ジャーナリストの北野幸伯さんは、「国家ライフサイクル論」を用い、1989年には弾圧できた民主化運動も次の波は中国共産党では堪えられなくなるとし、その根拠を「ソ連崩壊までの過程」と比較しながら論じています。

天安門事件から29年、中国に自由は来るか?

6月4日は、中国の天安門事件から29年だそうです。香港では、こんな感じで「犠牲者追悼集会」が行われました。

天安門事件から29年、香港で追悼集会

天安門事件」とは何でしょうか?

第2次大戦終結後、世界は米ソ冷戦の時代になりました。ところが、1980年代半ば、ゴルバチョフがソ連の書記長になると情勢が変わってきた。ゴルビーは、「ペレストロイカ」をはじめ、ソ連で「民主化」「自由化」が進みそうなムードになってきた。

ソ連と同じく「共産党の一党独裁国家である中国でも、変革の波がやってきました。自由化推進の中心人物だったのは、胡耀邦共産党中央委員会総書記です。彼は、中国版「ペレストロイカ」をしようとした。ところが、実際の最高権力者だったトウ小平は、これに反対でした。

胡は1987年1月、失脚。そして、1989年4月15日、心筋梗塞で亡くなります。同年4月17日、北京で学生たちが追悼集会を行います。それはほどなく「民主化要求デモ」に転化し、全土に拡大していった。同4月21日、北京デモの参加者は10万人まで膨れ上がりました。さらに5月になると、50万人まで増えた。そして6月4日、ついに中国のトップは、「デモを武力で鎮圧せよ!」と命令しました。

これがいわゆる「天安門事件」です。犠牲者数、中国は319人としている。誰にも正確な数字はわかりませんが、欧米では「3,000人」とも「1万人」ともいわれています。

天安門事件とベルリンの壁崩壊

さて、天安門事件があった1989年、世界では私の人生にも大きな影響を与えた「歴史的大事件」が起こりました。「ベルリンの壁崩壊」です(1989年11月9日)。ドイツは第2次大戦後、西ドイツと東ドイツに分断された。二つの国は、「ベルリンの壁」によって、物理的にも分断されていた。これが崩壊し、90年10月には、東西ドイツが再統一された。そして、1991年12月には、共産主義陣営の総本山ソ連が崩壊し、冷戦は終結したのです。

なぜベルリンの壁崩壊が、私の人生に大きな影響を与えたのでしょうか? 私は、このニュースを見て、ソ連留学を考えはじめたからです。89年、中国で起こった「天安門事件」、ドイツで起きた「ベルリンの壁崩壊」。「どちらが歴史的大事件か?」と聞かれれば、ほとんどの人が「そりゃああんた、ベルリンの壁崩壊さ!」と答えるでしょう。なぜ?

「ベルリンの壁崩壊」の後、東欧・ソ連が民主化されていった。しかし、「天安門事件」の後、中国の体制はまったく変わらなかったからです。

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