完全な非核化を意味するCVIDが、合意文書はもちろん、会談でも詰められなかったことをトランプ大統領は「時間がなかった」と説明。これを共同通信・大田昌克氏は先の「モーニングショー」のなかで
「だったら会見なんかしていないで話を詰めろ」
と居丈高に詰りますが、会見に要した1時間で詰められる話しなら、とっくの昔につめていることでしょう。工作員同然の言説を繰り返す連中は、その使命感からか、安堵の興奮から論理性を失っています。
CVIDが確定しないなら会うな、というのなら、その先に待っていたのは軍事オプションです。大田氏がそれを望んでいたのなら、私も幾ばくかの同意をすることでしょうが、さにあらず。彼の馬脚はすぐに表れます。
「日本も米国の核の傘から離れるべきだが、その前に朝鮮半島の完全なる非核化が必要だ(要旨)」
さも、トランプ大統領の選択が間違っていたかのように批判しますが、間違っているのは大田昌克氏です。そして前日の放送でも、青木理氏が同じ間違いを披瀝します。
米国の核の傘とは、米ソ冷戦時代の産物で、いまはロシアと、そして中国による核の脅威から日本を守っているもので、北朝鮮の核の脅威は後付けです。
つまり、北朝鮮が非核化しても、ロシアと中国に核弾頭がある限り、日本は自主的に核武装をするか、米国の核の傘に頼るしかないのです。
大田、青木と、北朝鮮に優しい発言を繰り返す両者が足並みを揃えるところも「工作員疑惑」の状況証拠と見ています。
もちろん「会うことに意味があった」とする理由は、米朝それぞれにあり、軍事オプションを怖れる金正恩氏だけではなく、米国側にも軍事オプションを回避したい思惑がありました。
なぜなら、軍事オプションを行使すれば、軍人はもちろん、在韓米国人など、一定の米国国民に被害がでるので、それこそ「中間選挙」に悪影響を及ぼしかねません。
そしてトランプ政権の中枢にはジェームズ・マティス国防長官を筆頭に、「軍人」が多く入っており、彼らは仲間が傷つく戦闘行為を可能な限り回避しようとします。
しかし、「会わない」となれば、トランプ大統領の性格上、あれだけ挑発したのですから「やらない」という選択肢はなくなります。それでは彼が忌み嫌う「オバマ」と同じ腰抜けです。
これは推測に過ぎませんが、トランプ大統領のような虚仮威しが好きな人物は、米国において「チキン(臆病者)」という評価を毛嫌いすることでしょう。
だから、米国側にも「会わない」という選択肢はなかったわけですが、それは「痛みを伴う決断」を避けるためであり、対して北朝鮮においてその決断が意味するところは「痛みを感じない存在になる」可能性を受け入れるということです。