女子小学生「袴」卒業式で見えた、思春期教育の後進国ニッポン

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今や新定番となりつつある、小学校卒業式での女子児童の袴着用が議論を呼んでいます。そんな流行りについて「違和感を持つ」とするのは、米国在住の作家で教育者でもある冷泉彰彦さん。冷泉さんは自身のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』でその違和感を詳述するとともに、日本の思春期教育の問題点を指摘しています。

ここが変だよ日本の思春期教育

最近は、都市部を中心に小学校の卒業式にあたって女子にを着せるのが流行しているそうです。マンガの影響など、罪のない理由だとは思いますが、私はとても違和感を感じます。華美だからダメなのではありません。女子教育というものが「100%女性の権利を主張し実現する」のでは「なかった」時代を思い起こさせるということもありますが、別にそうした言いがかりをつけるつもりもありません。

そうではなく、私が違和感を感じる理由は一点だけです。

小学校の卒業というのは社会へ出るわけでもなく、親元を離れるわけでもない、また義務教育を完結したわけでもないわけです。そうした意味で、人生における大きな達成ではないのに金をかけて派手に祝うことに違和感があるのです。

違和感というのは「思春期になって面倒になる前の素直な年齢」だから派手に祝う、そのことが実は思春期教育からの逃避だからです。とにかく子供が素直に喜んでくれるうちに、写真とか撮らせてくれるうちに、祝っておこうというのは、思春期になればどうせ「反抗するだろう」し、親子の関係も難しくなるから「今のうちに」というわけです。

この点においては、「二分の一成人式」とか「お受験」も同じことです。それ自体には、多少の理由もあり、イベントとして悪いものでもないのですが、とにかく、前思春期のうちにやってしまう、なぜなら思春期は大変だからというのは問題です。

悪いのは家庭だけなのでしょうか?とんでもありません。学校もグルです。学校も一緒になって思春期教育から逃げている」のです。

日本の思春期教育は極めてシンプルです。

まずエリートには受験教育だけを与えます。そして、受験勉強をしないと上の学校に入れないという脅迫を行なって逸脱を防ぎます

その受験勉強は、ホンモノの思考力を問うものではなく、反復訓練で正確性を向上させたり、記憶力を問うという中進国型のものです。それで中高の6年間を空費させて、「上の世代、つまり過去の世代にとって使いやすい人材を大量生産するのです。

一方で、非エリートの場合は、この受験で脅迫して机にかじりつかせるということができないので、代わりに校則と部活で縛るのです。刑務所と同じようなことを6年間やらせて、食うに困って反抗しなくなる年齢まで逸脱しないように監視するのです。

多少勉強して高卒ないしFランク大学を出れば、とりあえず非正規の仕事にはなんとか就けるだろうし、そのコースの場合は、学力競争はなくとにかく逸脱しないで、刑務所ルールに従って6年が経過するのをジッと待つようにさせるわけです。

それだけです。

これでは日本が先進国になれないのも当然です。

AIを「道具」として人類の生活向上のために、産業をひっくり返すような改革を思いつく人間だとか、国家や行政といった概念を根本から疑うような人材は、育てる気がないし、むしろ逸脱だと考えているからです。

同じように非エリートの場合も、老人や外国人のケアを行うにあたってマニュアルに縛られるのではなく、臨機応変にパーソナルタッチ、ヒューマンタッチなサービスを行うような人材は、期待していないし、マネジメントの手間がかかるので排除するということになっています。

これでは日本は観光立国(実は中進国レベルの経済)や福祉サービス立国などというのも無理です。

こういう思春期教育というのは完全に終わっているのです。と言いますか、21世紀の国際社会で日本が生き残っていくための思春期教育というのは全く行われていないと言っていいでしょう。

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