恩を忘れるべからず。戦後日本の食糧難を救ったミャンマーの現状

shutterstock_1927827155
 

2月1日の発生から約1ヶ月が過ぎたミャンマーの軍事クーデター。数日前から繰り返される治安当局の発砲によりデモ隊に多数の死傷者が出るなど、事態は混迷を極めていますが、冷ややかな反応を示す日本人も少なくありません。このような状況に疑問の声を上げるのは、健康社会学者の河合薫さん。河合さんは自身のメルマガ『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』』で今回、食糧難に喘ぐ戦後日本をミャンマーが救ってくれたという事実と、現地の友人から届いたメッセージを紹介しています。

プロフィール:河合薫(かわい・かおる)
健康社会学者(Ph.D.,保健学)、気象予報士。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(Ph.D)。ANA国際線CAを経たのち、気象予報士として「ニュースステーション」などに出演。2007年に博士号(Ph.D)取得後は、産業ストレスを専門に調査研究を進めている。主な著書に、同メルマガの連載を元にした『他人をバカにしたがる男たち』(日経プレミアムシリーズ)など多数。

「雅な生活」を好む人たちの戦い

今回は「ミャンマーで暮らす友人の声」を取り上げます

ご承知のとおりミャンマーで国軍が権力を掌握してから、1ヶ月以上が過ぎました。治安部隊は27日から各地でデモ隊への実力行使を強めていて、28日の1日だけで、少なくとも18人が死亡、30人以上が負傷しました(国連人権高等弁務官事務所より)。

日本では先月、在日ミャンマー人が青山の国連大学前に1,000人ほど集まり、霞が関の外務省前にも3,000人が集結。拘束されたアウンサンスーチー氏の釈放について、「国際社会から軍に圧力をかけてほしい」と訴えました。

しかし、日本人の中には「ミャンマーの争いを日本に持ち込まないでほしい」「外国人が日本国内でデモをやるのはおかしい」「コロナ禍で密になってデモを行うべきではない。クラスターになったらどうするのか」などと、冷ややかな意見が出てしまったのです。

これは実に残念なことです。以前、「日本には目に見えない鎖国がある」と日本で暮らす外国人の友人が嘆いていましたが、たとえ何もできなくても、何をしたらいいのかわからなくても、“近きアジアの友人”たちを知り、理解しようとする気持ちだけは持っていてほしいです。

ミャンマーは戦後、東南アジア諸国で最も早く日本と平和条約締結をし、戦後食糧難に直面していた日本に、大量のミャンマー米を送ってくれたやさしき国。ミャンマーのお米で多くの日本人の命が救われました。

一方、日本が戦時中にタイとミャンマーを結ぶ鉄道建設工事を強行した際に、10万人以上のミャンマー人が「労働力=汗の兵隊」として駆り出されました。過酷な労働環境で、少なくとも3万人以上の人が命をおとしたとされています。これは「泰緬鉄道建設工事の悲劇」と呼ばれています。

ミャンマーの人たちはそういったネガティブな経験を日本から強いられたにも関わらず、「戦中」と「戦後」を分けて考える姿勢をとってくれたわけです。そういうやさしき心を持った人たちが、現在、勇敢にたちあがって「穏やかなデモ」を行っている。ミャンマーに住む友人によれば、「数日前から、世界が変わったようにヤンゴンのあちこちで恐ろしい行為が見られるようになってしまった」そうです。

print
いま読まれてます

  • 恩を忘れるべからず。戦後日本の食糧難を救ったミャンマーの現状
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け