闇の権力者よりタチが悪い。日本の政治を支配する不気味な沈黙

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現在の日本の政治を覆う闇は、これまで語られてきたものとは全く質が異なるようです。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では米国在住作家の冷泉彰彦さんが、その闇の正体暴きを試みるとともに、変質した日本の国家と国民の関係性を解説。さらに民間も政治も劣化が進むこの国にあって、消去法とは言え菅首相に国家運営を任せるしかない理由を記しています。

主権者が権力を委任しなくなった未来国家ニッポン

現在の政治状況は、不気味な沈黙が支配しています。その正体について、何も怖いもののない田原総一朗氏などは、かなり鋭く状況を指摘しています(複数のインタビュー記事による)。

「政府内は、IOCと同じく五輪を開催したいと考えている」
「五輪を開催できないとなると、選挙はいっそう厳しくなる。すると、菅首相では戦えなくなるだろうというのが一致した見方」
「そのため、自民党内では、菅首相とポスト菅のどちらで戦うのかについての選択で悩んでいる」
「開催に向けた大きなポイントは、ワクチンの一般接種」
「だが、接種の見通しは立たない」
「ワクチン確保の本格交渉は、河野太郎のワクチン担当兼務(2021年1月18日)から、そのため接種スケジュールが遅れた」

まあ、そうだろうなと思う内容ですが、この程度の内容でもちゃんと指摘できているのが田原さんぐらいというのは、闇が深い感じがします。

闇というと、どこかに怖い権力があって、その権力に官僚組織やメディアがひれ伏している、そんなイメージですが、今回の政治の闇というのは、ちょっと深さが違うようです。強い権力が形成されて、そのために人々が弾圧されている、そこで自由な発言が封じられているのでは「ない」からです。

むしろ、進行している事態は反対であり「主権者が権力を委任しなくなった」という政治的な現象が起きているのではないか、私にはそう見えます。2010年代ぐらいから、個人的に日本というのは「課題先進国」として見てきているのですが、その延長で、ついに日本というのは、機能としての政治権力が成立しない、そんな不思議な「未来国家ニッポン」に変容しつつある、そんな評価をしないといけないようです。

五輪に関してがまずそうです。東京の高齢者などには「これ以上、騒がしい国際行事はイヤ」という感情があり、更に「国と都の税金が浪費される五輪には反対」という意見、そして「外国人観光客ばかりで町が荒らされるのはイヤ」という感情論も乗っています。

そうした「オリジナルのアンチ五輪」が、今回のコロナ禍によって「外国人観客はイヤ」となり、それを政府に呑ませたら、次に想定されるのは「役員、選手団、スポンサー枠の入国反対」となるに違いありません。

そんな中で、日本でのプレ五輪の国際大会に「ビザを出すな」とか「14日の監禁検疫とPCR陰性は絶対」「日本の住民との接触禁止」などの条件が競技別に炎上して行く可能性があります。そして、どこかの時点でポイントがゼロになると、五輪としては全体がゲームオーバーになる、そんなストーリーが見えます。

では、そんな面倒なことをしないで、サッサと中止してしまえばいいのですが、主権者はそうした委任もしていないようです。中止したならしたで、「自民党の失政だ」とか「安倍内閣の官房長官だった菅氏は共犯」だと叩くでしょうし、そうした圧力を感じていると、内閣も官僚組織も「中止の場合のコスト」を正直に国民に説明する勇気もなくなるでしょう。

ということで、有権者の総体としては五輪を淡々と開催することには反対であり、では勇気を持ってスパッと引くように「五輪反対という政策へ向けて主権を行使する」わけでもない、つまり本件に関しては、国家とカネがズブズブに泥沼に飲み込まれているのを、ひたすら政治家に責任をかぶせて、憤慨しつつ見物するという事態に陥っています。

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