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紅葉屋ノベルズ。

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 ---NO.001---00/00/00---      ---------------紅葉屋本舗 ---
                 ---------puroduct by k.momiji---
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 連載小説 →第1回

【 遠い音楽 】 
                 ──────────────────

 夏になると思い出す匂いがある。
 それはなんとも言えない草の匂いで、土の匂いで、真昼の匂いで、そして
涼しい風が風鈴を鳴らす夜の静かな匂い。夏の盛りと秋の気配がにわかに交
じり合う、不思議な感覚。
 そしてそれは必ず、火薬くさい線香花火と口にくわえた煙草の匂いに戻っ
て行く。あの人のいた夏は遠い。でも、それは確かにここに残され続ける記
憶で、夏が来るたびに何度も思い出す。
 きっと一生、こんな気持ちを繰り返し持ち続けるのだ。夏が来るたび。空
が真っ青に染まるたび、何度も。

 今年の蝉はまだ鳴き始めていない。でも夏の日差しはすでに強く、照り返
しで気温があがる石畳の小道を歩きながら、真は額ににじんできた汗を腕で
拭った。
 平日であるせいか、お盆が近いというのに、墓地に人影はなかった。ちょ
うどそんな時期なのか。それとも市街地の中心から電車一本で簡単に来れる
この場所の立地条件の良さが、少し早めに、などと考えさせずにお盆に合わ
せて人を呼ぶのだろうか。
 日差しを遮る木々も切れた。ふと見上げた空に光を弾いたように白い雲が
ちぎれて浮かんでいる。目を細めて視線をそらすと、目的の墓石が見えた。
 手を軽く合わせてから、供えられてまだ二・三日しかたっていないだろう
新鮮な生花を取り除いて乾いた墓石に水をかけ、墓の周りにいくつか生え始
めている雑草をぶちぶちとむしり取った。
 それから新しい花を供える。あやふやな記憶の中でわずかに覚えている、
父の好きな夏の花。その人の笑顔のような、太陽の花。真は線香に火をつけ
て供えると、墓石の前にしゃがみ込んで、片手づつ日の焼け具合の違う両手
を合わせ、熱心に目を閉じた。体温とさして変わらないからりと暑い夏の気
配が肌を包んで行く。風ひとつない午後だった。じっとりと汗が滲んできて
も、真は身じろぎひとつしなかった。勝気な眉の下の長いまつげ濃い影が、
日に焼けた頬に伸びる。
 雲がゆっくりと流れていく。
「‥‥‥まこと、くん?」
 遠慮がちに声をかけられて、真は弾かれるように顔をあげた。あんまりに
も無心過ぎて、人の近づく足音にも気づかなかったのだ。
 真に呼びかけたのは、白いシャツを着た壮年の男だった。今が働き盛りと
いった若い感じがする誠実そうな、なかなかの男前で、手には真と同じよう
に水をいれた桶と墓に供えるための小さな花束を持っていた。長い間顔を見
ていなかった人だったがすぐに正体は知れた。忘れるほど恩義しらずにはな
ったつもりはない。
「智裕さん」
 呼びかけると、相手は破顔した。
「良かった。覚えてたか」
 その嘘っぽさがかけらもない優しい笑顔は昔と少しも変わらず、久しぶり
の再開に緊張していた真の気持ちをほぐすにじゅうぶんだった。
「忘れませんよ。お参りに来て下さったんですね」
「うん。いいかな」
「あ、はい」
 すみません、と小さく断って真は後に下がった。
 墓石の前に進んだ智裕は、桶を足元に置いて墓石に水をかける。それから
小さな向日葵の花束を墓石の前に立てかけ、おもむろに煙草を取り出し火を
つけた。
「夏だよ、敏直さん。夏だ」
 呟きながら火のついたタバコを供えると、智裕はしばらくの間だけ黙祷し
た。
 その背中を、特別な智哉にやはりそっくり似ている背中を、真はじっと見
つめていた。 智裕は智哉の父親だ。真の父親が生きていれば彼より五つ年
上になる。今は智裕が五つ年上になった。これから先、二人の歳の差は隔た
るばかりだ。もう二度と追いつかれることも追い越すこともない。
 同じ社宅に住んでいた頃に家族ぐるみの付き合いを始めた真の家と智裕の
家は、社宅を出てからもお互いに近くに一軒家を買ったりと付き合いを続け
てきた。だから真と智哉は幼なじみとしてもの心つく前から、まるで兄弟の
ように当たり前に行動を共にして仲良く育ってきたのだ。そんな二人に野球
を教えたのは、当時まだ元気だった敏直だった。 
 智哉は特に真の父親である敏直によく懐き、とても尊敬して慕っていた。
もしかすると実の父親に対してよりもその気持ちは強かったかもしれない。
だからだろうか、両家の付き合いは敏直が他界したあとも何の変わりもなく
続き、真は智裕を父親代わりに慕って成長し、そして突然、三年前に付き合
いは完全に途絶えた。
 原因は真だ。そして、智哉だった。小さな頃から幼なじみとして兄弟同然
に仲良く育ってきた二人の関係に、一方的な疑問符を投げたのが智哉だった
のだ。思春期の成長が真よりも早かった智哉は、傍に必ずいる少女のような
面立ちの愛くるしい少年に寄せる自分の思慕の念が、次第に友情からはずれ
て募って行くことに気づかずにはいられなかったのだろう。その思いがあま
りにも深すぎて、智哉少年は恐ろしくなって手を離した。絶対に離さないと
決めていたはずの、その手を離してしまった。そしてそれきりだった。
 高校三年間。正しく言えば二年半、二人は生まれて初めて別々の場所で人
生を歩んだ。智哉は自分の決断を悔やみ続け、真は突如訪れた思いも寄らな
い拒絶を、裏切りだと苦しんだ。互いに気持ちの半分をずっと無くしたまま‥‥‥。
「いつも。‥‥‥花を供えてくれるのは智裕さんだったんですか」
 もう死んで十年近くなるのに、父親の墓石の前には生花が絶えたことがな
い。どんなにふらりと突然来ても、供えられている花が枯れていたことはな
かった。母親が真には告げずに来ているとしても、それほど頻繁ではないは
ずだと、不思議に思っていたことの答えを得た気がして言うと、
「違うよ」
 智裕は立ちあがって真を振りかえった。
「君のお父さんはたくさんの人に愛されていたから。何年たっても、きっと
だれも忘れられないぐらい。‥‥‥そんな人だった」
 思い出すような遠い目をして微笑むその人も、やはり忘れることはないの
だ。だれもが愛したと言う夭逝の人を。だから向日葵と、愛飲していたちょ
っとシブい好みだったショートピース。
 涙が出そうになって、真は身体を軽く折って足元の桶を手にした。
「これからどうするの」
 並んで歩きながら智裕が言った。
「帰るだけです」
「それなら、一緒に帰ろうか。車なんだ」
「いいんですか」
「それからちょっと家に寄ってくれる? かき氷でもご馳走するよ。昨日、
みぞれシロップを智哉が買ってきたから。真くん、好きだっただろう。みぞ
れミルク。智哉は出かけていないんだけど、三年近くご無沙汰なんだから、
少しは俺の相手をしてくれないと」
 わざと拗ねて見せる良い年をした大人に真は思わず吹き出した。それを見
た智裕がほっと息をつくような顔をしたから、自分がずっと笑顔を見せてい
なかったことに気づいた。父親代わりにあんなに懐いていたのに、数年離れ
ただけでこんなに他人行儀になるのが寂しい。それはお互いに同じだ。でも、
真の方はそれだけの理由でもなかった。
「迷惑じゃないですか?」
 一応、遠慮がちに聞くと、智裕はにっこりと優しく笑って片手で真の肩を
抱き寄せた。まるで血の通った親子がふざけるように、頭をこつんとぶつけ
て軽く目を伏せ、
「そんな悲しいことを聞かないでくれよ。あれは智哉のやったことで、俺が
真くんを避けたわけじゃないんだから」
「‥‥‥」
 そうですね、と簡単な返事が頭に浮かんだけれど、なんとも答えることが
出来なかった。風がふいに二人を包む。墓地の向こうの山に入道雲が立ち昇
っていた。
 夏がやってくる。本当の夏が。
 それは真をせつない気持ちにさせた。
 アブラゼミのけたたましい鳴き声と、そして騒がしいテレビ放送の高校野
球。団扇の風だけを頼りに夢中になったいつもの夏。
 真は無意識にまぶたを閉じた。強い夏の気配に一瞬だけ気が遠くなる。


  To be continue ....

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  • 2009/11/23
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