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Kazeのミステリ街道

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--- ◇Kazeのミステリ街道 --------------------- ------

こんにちは!
ただいま、「Kazeのミステリ街道」で、
『影法師の手紙』という連載小説を配信しております。
小沢 葉風(おざわ しょうふう)です。
こちらのサンプル小説は、「関連WEB」をクリックいただければ、
最後までお読みいただけます。

連載中の『影法師の手紙』、最初の1ヶ月分は無料になりますので、
お試しにどうぞ♪
再会した2人のこれから、そして舞い込む謎、さらに深まり…
北国の情緒もお楽しみください。

読んでいただきありがとうございます。

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ブログミステリー『貸室有り』
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※この物語はフィクションです。
実際の人物・地域・団体とはいっさい関係ありません。
また、無断転載を禁じます。


「貸 室 有 り」 序章

 1・ナイトメア第6       
 
 嵐の木曜日だった。ちょうど彼岸の入りだった。
 彼岸じゃらくというやつだ。
 しめった雪が、横なぐりに吹きつけ、時にはみぞれとなる。
 道路はぐしゃぐしゃの灰色になる。たまらない。歩くのも面倒だ。
 その天気の中、藤原美雪(ふじわら みゆき)は出かける支度をしていた。
 アパートを探し、いまの部屋から引っ越すためだ。
 いまは、ナイトメア第6という、賃貸マンションに住んでいる。
 勤め先のデパート、デイドリーム百貨店が社員寮として借り上げているのだ。
 外観・内装ともにおしゃれだが、周囲の治安は最悪である。
 両隣にラブホテルがある。
 週末になると、暇な男たちがたむろする。
 帰宅する住人たちにだれかれ構わず声をかけ、ホテルに引きずり込もうとする。
 美雪も何度か、待ち伏せしていた車に引きずり込もうとした男の向こうずねを、
 滑り止めのスパイクをつけたブーツの踵で蹴っ飛ばして逃げた。
 その夜、男は美雪に、
「カッコつけんじゃねぇ、このすっきれオナゴ(すれっからし)が!」
 と悪態をついたのだ。
 が、その後、奴は癖になってほとんど毎晩待ち伏せしている。
 デパートの社員寮である以上、住人は女が多いのを彼らは知っている。
 真冬の夜中は酔っ払った彼らが集団でワラシ(子供)のようなイタズラをする。
 部屋の窓に雪玉をひっきりなしにぶっつけて歓声を上げ、寝られない。
 不審者の侵入、ランジェリー類の盗難も毎日起こる。
「あなたまだ4階だからいいわよ。1階なんて夏も窓を開けてられないんだから」
 と、先輩の松子がこぼしたのを聞いて、美雪は引っ越しを決意した。

 2・美雪の来歴 

 事件は本州の北国、青森県南部の千戸市(せとし)という小都市で起こった。

 美雪がここに来るまでの経緯を簡単に述べておく。
 
 1年前、美雪の勤め先だった、栗木屋デパートが倒産した。
 それは、故郷の和田町(わだちょう)にあった。
 美雪は、生まれ育った和田という田舎町から車で2時間の、
 千戸市に仕事を見つけた。
 短大のビジネス学部在学中から栗木屋でアルバイトし、
 卒業後は正社員で勤め続けた経験が生きた。
 千戸市の、デイドリーム百貨店メンズコーナーの面接を通ったのだ。
 失業保険をもらい終わってしばらくぶらぶらした後の、秋彼岸のことだった。
 過疎化がすすみ、中心街はシャッター通りとなった田舎町から、
 また田舎町へ移ってきただけのことだ。
 が、この千戸市はいささかこじゃれていて人口も多く、活気も残っている。
 中心街は和田町同様、空洞化がものすごいスピードで進んでいる。
 それでも、まだ仕事はあった。
 このデパートも、数年前に大手の買収を受け入れたうえ、
 会社更生法を申請したりと、息も絶え絶えの経営状態ではあるが、
 これから4〜5年は生きるだろう。
 28歳の美雪は、もう少し働いてお金をため、自分の店を持つつもりだった。
 栗木屋が倒産した時点で、見合い話を持ってくる親戚や隣人たちがいた。
 年齢を考えれば当たり前の話だ。美雪はどう逃げようかと思った。
 ところが、父親が早死にした後、
 実家に帰り女手ひとつで美雪を育てた図書館勤めの母・夏子は、
 かえってそんな周りの親切をうるさがった。
 小さくまとまって無難な人生を送るより、
 自分の力でなにか面白いことをやれという信条の持ち主だったのだ。
 美雪が千戸市へ行きたいと言ったときも止めなかった。
 
 母方の実家は、昔は小さな地主だった。
 戦後の農地改革で、地主と言うのをはばかるほどの少ない農地だった。
 それを、政府は強制的にわずかな金で買収した。
 以来、復員した祖父の代からサラリーマン家庭である。
 いま残っている家屋敷に13人の親類縁者が固まった大所帯。
 生かさず殺さずの勤め人生活、年寄りは細々と年金暮らし。
 そんな生活を、国鉄にいた祖父の栄一と祖母タキは受け入れていた。
 細々と、静かに暮らしていた。
 が、夏子は飽き飽きしていた。
 人間、食えさえすればいいというものではない。
 この世に生まれてきたからには、名声を得るか、
 一攫千金を目すか、
 それができなければせめて世の中に何らかの影響を与えることをひとつするか。
 とにかく何かをしなければならないと、かたく思いこんでいる。
 
 そして、美雪にもつねづねそれを要求した。
 
 生来、怠け者の美雪にとって夏子の期待は少し重たかった。
 流通の世界で歳を重ねるうち、
 ショップのオーナーくらいはできるかも知れないとは、思い始めた。
 ただ本当に、命がけでそれをやりたいかというと、よくわからない。
 それなのに、このままで終わるのは物足りなかった。
 友達とも彼氏ともつかない康夫というボーイフレンドもいた。
 農協に勤める、欲なく優しい男だった。
 美雪のことも大事にしてくれ、いつかは結婚をと思っていたようではある。
 だが、いま以上の生活は望んでいないようだった。

 康夫と結婚しても、手取り20万前後の生活…
 
 それは勘弁してほしかった。
 美雪は、愛さえあれば貧乏でも、という崇高な考えは持ち合わせていない女だ。
 自分でたくさんお金を稼いで、いい服をきて美味しいものを食べ、
 面白可笑しく暮らしたい。
 代々、この家の血筋は、堅実に生きるか山師になるか、両極端なのである。
 戦後数年して亡くなった曾祖父の源太郎は、興行や相場にも手を染めていた。
 気前がよく、快活な男だったと聞いている。
 ところが、祖父はおとなしく、祖母は人嫌い、叔父叔母は堅実派だ。
 そして美雪の気性は源太郎に似ているとみんなで言った。
 普通の仕事で満足できず、じっとしていられないのである。
 脈々と山師系の血を受け継いだようだった。
 
 母の夏子も、どちらかというと気性が激しく山っ気もある。
 ひっそりとした暮らしのなかで、ときどき恋愛事件を起こしたりするのも夏子。
 それでも図書館勤めを続けているのは、
 出戻りであることへの遠慮と、働いている間、
 小さかった美雪を預けている事への気兼ねからだった。
 時期がくれば、美雪にはやりたいようにさせようと、長年思っていたらしい。
 そして、栗木屋の倒産ではからずもきっかけがつかめた。
 
 美雪はトランクひとつに何パターンかの外出着、寝間着、バッグ、化粧品だけを
 つめ、9月末の、まだ蒸し暑い秋彼岸の国道を、2時間あまり路線バスに乗った。
 自分の店を持とうと思いながら、美雪はたいして金も持っていない。
 栗木屋からは、やっと最後の給料と、わずかばかりの退職金を受け取った。
 かろうじて50万円程度の、当座の生活費が残っているだけである。
 そのうえ、手取り給料15万円のデパート勤めをして、
 いくら貯金ができるというのか。
 それを思うと、未来はまったく見えてこない。
 美雪にあるのは、自分には何かができるはずだという、根拠なき自信、それだけだ。
 ひとり娘の美雪は、父親の顔も憶えないうちに亡くしたことで、
 皆に少々甘やかされて育った。
 よく言えば物怖じせず、悪く言えば怖いもの知らずだった。
 家庭は愛情があふれていたと思う。
 反面、大所帯の家族間派閥と、夏子と祖母タキの凄まじい葛藤もあった。
 正直、いまの美雪は、あの家から離れてほっとしていた。
 
 店を持つ目標など、ほんとうは、どうでもいい…
 しばらくひとりで、思いっきり羽根をのばしたい。
 先のことは、先のこと。
 むしろ、そういう下心のほうが強かった。
 
 国道では、途中で何台もタンクローリーとすれ違った。
 冷房のない、窓を開けたままの車内で砂埃をかぶりながら、
 千戸の街へとやってきた。
 到着した時間は、夕方だったと記憶している。
 和田町よりはるかに多い30万人が暮らす千戸の、
 ピンクがかったあかね色の暮色の下、
 無数にきらめく街のネオンを見て、わくわくした。
 都市の灯りに、ひとり暮らしへの開放感をおぼえたのである。

 3.百貨店デイドリーム 
 
 美雪はメンズコーナーの、「平場」へ配属になった。
 デパート独自の商品や、ショップを持たないアパレルメーカーの商品を、
 売り場の中心に安価な値段で置く、コーナー全体の客寄せ空間である。 
 仕事はすぐに慣れた。
 小さな町から出てきた美雪を、小馬鹿にする先輩や同僚も、最初はいた。
 田舎者がさらに田舎者を見下す構図である。
 が、気にせず試用期間の3ヶ月をすごした。
 こういう世界では、レジの打ち方や備品の場所以外、
 仕事の大事な部分は誰も教えない。
 美雪は自分で商品知識を徹底して憶えた。
 各メーカーの微妙なサイズの違い、デザインの違い、流行、客の性質…
 ずっと和田の栗木屋で培った、客あしらいも活かせた。
 そして1人2人と、固定客がつくようになると、
 腹のなかではなにをおもっていようと、
 面とむかって、美雪にきついことを言う者はいなくなった。
 そのかわり、
「あの子は実力より顔で売り上げとった気になってる。
 たいして美人でもないくせして」
「客と寝てるんじゃないの?」
「どっちかっていうとフツーなくせに、態度だけは大きいし」
「大草原の小さな家的ノスタルジーを感じるとか?(プ 」
 と、陰で古株のうるさ方、貴子や利香が言い始めたのにも気づいた。
 実際、美雪は美人というより目がくりっとして色白、
 唇の小さい愛嬌顔だった。 髪は長めに伸ばし、ゆるくパーマをかけている。
 その髪型は、顔立ちのささやかな美点を、最大限に引き出していた。
 これも自己演出のひとつなのだが、自称美形で壁塗りメイクの彼女らには、
 なぜ美雪に少しずつ顧客があつまるのか納得がいかない。
 堂々とした立ち居振る舞いも、裏返せば偉そうに映る。
 それも、こんなところでは、よくある悪口だ。
 ほとんど気にもとめなかった。
 貴子と利香というのは、デイドリームの中で札付きのヤンキー上がりである。
 歳だけは40近いのだが、いまだに制服のスカートを長く改造したりする。
 昔の同級生で気にくわないのが店にくると、ガンヅケして追い返す。
 新卒の20前後の、おとなしい女子を職員用トイレに呼び出し、
 人差し指と中指の間に挟んだカミソリをちらつかせて
 給料をカツアゲしたという伝説もある。
 貴子などはいまどき、「カミソリお貴」と異名を取るとか。
 まあ、お近づきになりたくない2人ではあるので避けて通っていた。
 そのうち数人のランチ友達もできて、美雪の新しい生活は、
 それなりに楽しいものとなった。
 だが寮のまわりにたむろする男たちの行状にはあきれはてた。
 「どうしてみんな何も言わないで我慢してるの?」
 一度、仲良くしてくれる先輩の松子に聞いてみたら、
 「だって寮費は普通の家賃の半分よ、ここ。
 なにも補助がないと6万5千円もするんだから。
 このど田舎だって、3万円台で借りられる部屋なんてないわよ。すぐに慣れるわ」
 と軽く流してきた。
 しかし、美雪は、入寮後半年で、別の部屋を探すことにした。
 いつも変態を蹴り飛ばすためにココまでやってきたのではない。
 それなりの野望があったはずだ。
 寒冷地仕様に加工したブーツとはいえ踵もすり減る、そして神経もすり減る。
 季節は秋、冬を越し、春彼岸になっていた。

 
 藪中荘の殺人
 
 4・山奥章五郎

 美雪には目をつけている部屋があった。
 寮である賃貸マンションわきの電柱に、
 手書きで書いてコピーしたチラシが張ったままになっている。
 仰々しい「貸室あり」という筆文字が、紙の上半分を占めていた。
 下の方には、現地住所と、下手くそな間取り図。
 六畳と四畳半の二部屋、キッチン、水洗トイレつき、風呂なし。
 銭湯が近くにある。
 鉄筋コンクリート2階建て、築55年。
 家賃3万円、敷金2ヶ月、紹介料。礼金なし。
 いまの寮よりも職場に近い。
 中心街の目抜き通りからやや離れた、雑居ビル・裏窓と隣あわせにある。
 古いうえ、日当たりもさして良くないが、周囲の環境は静かである。
 なによりも家賃を考えると、細かいことは気にしていられない。
 3月18日の木曜日、19日の金曜日と、連休をとった。
 デイドリームは、2月決算がすんだあとなので、休みが取りやすくなっていた。
 朝の10時に化粧と着替えを終え、
 赤いショートコートと磨き上げた黒い革のロングブーツを履き、
 マンションのエントランスを出て電柱に貼ってあるチラシを剥がした。
 そして、マイナス3度のみぞれの中、不動産屋へと向かった。
 
 チラシのすみに書いてある、その名は山奥不動産(有)。アパート名は藪中荘。
 
 山奥不動産は、デイドリームの建っている通りの、車道を隔ててはす向かい、
 目抜き通りから裏通りに抜ける千戸小路にある。
 営業しているのか潰れたのか判らない呉服店、照明の黄色い宝石屋、
 いまだ芸者を置く料亭(芸者は婆さんだが酔えばストリップをするらしい)、
 安居酒屋、ドアが斜めについたジャズ喫茶、合い鍵造りと靴の修理屋、
 荒物屋などがひしめき、
 ほこりっぽく薄暗く、街の人々がタヌキ小路とあだ名する通りの、
 さらに奥まったところにある。
 美雪は何度かそこを通り抜けた事があるので、不動産屋の場所だけは憶えていた。
 各種空き室の情報を張り出してはあるが、
 中がよく見えず、まともな人を寄せ付けない雰囲気だった。
 生まれてこの方、一度も自分で部屋探しをしたことのない美雪は、
 不動産屋というのはそんなものだろうと、勝手に思いこんでいた。
 木枠とすりガラスでできた引き戸に、
 「山奥不動産」と赤いペンキで書いてあるのを確かめ、戸をあけた。
「こんにちはー……」
 返事がない。
 中には、申し訳程度の応接ソファとひしゃげた檜テーブル。
 5坪程度の事務所内の棚四方一面に、
 古い書類も新しい書類も混在して積み上がり、
 中央の応接セット意外は足の踏み場もなさそうである。
 奥に事務机らしきものがある。
 その上にも、山と溜まった領収証や新聞、エロ雑誌、
 そして、なんだか人間の足のようなものが載っている。
 いまにも穴のあきそうな、毛玉だらけの靴下をはいている。
 美雪はおそるおそる近づいた。
 書類の山の中で、腕組みをしたまま、一人の中年男が寝ていた。
 頭髪をわずかばかり残した、ほとんどスキンヘッドにちかい大きな頭、
 短い首は肩にめりこんで、どっしりと肥満している。
 くたびれた、紺とも黒ともつかないとっくりのセーターを着たその男は、
 体格に似合わない、小さなスチール事務机と
 付属の肘掛けつきビニール椅子に全身を埋めて、気持ちよさそうに鼾をかいている。
 美雪はこのまま帰りたくなってしまった。
「あのー」
 いちおう声をかけて、目をさまさなければ、退散しようと思った。
 ところが、男は一瞬で起きた。
 びくりとした美雪を見上げて、
「なんだ」
 と、低くかすれた声で言った。
「あの、あたし」
「出入り禁止を解いてくれたら、ツケも払える。ママさそう言っとけ」
「はぁ???」
「こんな素人の新人姉ちゃんを朝っぱらからよこしたって一銭も払ねど」
「えっと…」
「あんた『タッチでラバーズ』から来たんだべ」
「いいかげんにしてください」
 美雪は、眠たげにしゃべるその男に怒鳴った。
「あたしは、部屋を探しにきたんです。
 そのタッチでなんとかいうエッチな店の姉ちゃんじゃないの」
「『タッチでラバーズ』は、別にエッチな店ではないが…」
「じゃあなに」
「期待して入れば普通のスナックだすけ、行っても金を払いたくねんだ」
彼はニヤニヤした表情になった。美雪は負けずに言った。
「だいたい、営業時間なのにこんな格好で寝ているなんて、お客にたいして失礼です」
 男はしわの寄った細い目をこらして美雪を見、とりあえず脚は机からおろした。
「そうですか、そりゃすまんかったね。大変失礼をば」
人を食った態度だ。
「でお探しのお部屋は?お嬢ちゃん」
横柄である。
美雪は無言で、さきほどはがしてきたチラシを、男の目の前に突きつけた。
「ああ、ここね。ま、座って」
 彼はソファを勧め、机上のホコリをかぶった電気ポットから急須に湯を注ぎ、
 寿司屋の広告がでかでかとついた、
 美雪の手より大きな湯飲みに茶を入れて、テーブルにおいた。
古そうな湯と、どうみても出がらしの番茶には、口をつける気にもなれなかったが、
 ずっと雪道を歩いてきて喉が渇いていたので、やむを得ず飲んだ。
 男も座って名刺をテーブルに出した。
 
 山奥不動産(有)
 
 社長 山奥 章五郎(やまおく しょうごろう)

 シンプルな名刺だった。
 
 この土地によくいる、一人社長だと思った。
 モチベーションが低い割には、誰もが独立したがり、まとまりがない。
 長州藩のような風土で頭もいいが勤勉さに欠け、あまり働かない。
 その日の食い扶持さえ稼げば、あとは寝ているDNA。
 ここでは、石を投げれば社長に当たると、いつもよそ者がからかうのだ。
 
 美雪も自己紹介をはじめた。
「あたし、藤原美雪と言います。そこのデイドリーム百貨店にいて、
 保証人なら母と叔母が」
言い終わらないうちに、山奥が言った。
「この部屋古いけど、いいの?」
美雪はうなずいた。
「あんたみたいにオサレ好きなお嬢ちゃんには似合わないよ?」
 男のもったいぶった物言いに苛々したが、
「お部屋、見るだけでも見せていただけませんか?」
 とたずねた。不動産屋とケンカするのが主目的ではない。
「時間の無駄だと思うぞ……まぁしゃあねな、じゃ、これから行くか。鍵、鍵っと」
 禿頭のあるじは、壁面に備え付けたボックスの扉から、
 カギのついた輪っかを取り出し、
「ついといで、お嬢ちゃん」
と美雪をうながした。
 子供扱いする口振りにむっとしながら、ソファをたち、店を出ようとした。
 そのとき、入り口のすりガラスを、
 内側からガムテープで補修しているのが目に入った。
「あの、これ」
「なんだ?」
「ここ、どうしたんですか?」
 割れたガラスを、ガムテープでベタベタ貼りあわせた場所を指さして言った。
 男は立ち止まってその箇所を見ると、
「ここか。やーなに、ゆうべか今朝か、ハデに割れてた。
 酔っぱらいかヤンキー連中さ」
「こんな奥まったところで?路面店ならわかるけど」
「この辺じゃよくあるよ。騒ぐほどのことでもない」
「ほっとくんですか。警察には?」
「奴ら何も取ってねし、このくらいの事でいちいち通報してたんじゃ、
 きりないよ。おれは警察が大きらいでね」
 美雪は肩をすくめた。
「あたしも。けど……なんか都合が悪いことでも?」
「たいしたこともやってないが、あいつらが取り憑いて来た日にゃ厄介だど」
 歓楽街の象徴ともいえる、うさばらしの破壊行為に慣れきった、
 不動産屋の口振りにあきれたものの、これ以上なにも言わず一緒に店を出た。
 出がけに、男は、同じ並びの、鍵と靴の修理店「キーセンター」のドアを開け、
「ちょっと客つれて出っから、人来たら、2時間で戻るといっといてくれ」
と、中で仕事をしている主人に声をかけた。
「あいよー」
 のんびりした返事が聞こえた。
 山奥と美雪は、細い路地を出て、吹雪の中、目的の藪中荘に向かった。

 5・藪中荘
 
 藪中荘は、想像以上に古かった。
 コンクリートの外壁には枯れ果てたツタがからまり、ところどころ欠け落ちている。
 屋上の鉄柵は塗料がはげ落ち、それぞれの窓から、
 破れて黄色く変色した障子が見えた。
 入り口にはさび付いた郵便受けが8個、
 それぞれにDMやチラシが垂れ下がり、よれてくったりとしている。
 中央の、暗い蜘蛛の巣がはった階段にさしかかったとき、不動産屋の山奥が言った。
「ここ20年くらい誰も住んでねんだよな。大家が建てた頃は、
 突貫建築の社宅だったが」
「どうしてこんな廃屋に…」
「あんたもはっきりいうね。まあ、いいや。
 まず土建屋は俺がガキの頃潰れた。
 その後、郡部のチョンガーや学生が住んだが、
 いまは…郡部の連中も車通勤になって、わざわざ街に住むこともなくなった。
 少子化で学生もいない。そうなると、ここの間取りってのは、
 夫婦者が住むにはせまい、独身者が住むには、
 外装が古すぎて格好悪いってんで、人気はがた落ちさ。これでも平気?」
「あたしは、こういう外観ってけっこう好きなほうですけど……」
「へぇ。変わってるねぇ。まぁ、まだ棲むには耐えるがな。
 むかし建てたにしちゃ、まともに耐震構造もしてあるから、
 十勝沖にも三陸はるか沖にも耐えたしな」
 山奥は建物の壁を軽く拳で打った。
「1階?2階?大家の爺なら、別なとこに住んでるから、選び放題だど」
「全部あいてるなら、全部見ます」
「はいよ」
 山奥はあきれてため息をついて、1階の部屋から順に開けていった。
 部屋は8つあり、ひとつの階に4部屋ずつ、南向きに並んでいる。
 正面階段の裏が通路となり、階段の脇に二部屋ずつ。通路側に玄関ドアがある、
 時代を感じさせるつくりだ。
 1階は日当たりが悪すぎたので、2階を見ることにした。
 階段をのぼりきったところの通路には、両方の端と端とに窓がある。
 少しは、陽が差している。
 階段から2階の通路をみわたしてみると、水がこぼれているように見えた。
(雪がどこかから入ってきて溶けた?まさか……)
美雪がそう思った瞬間、山奥が言った。
「ありゃ。先客かな。それにしちゃへんな足跡だ」
 よく見ると、大きく、作業靴のようにごつく、靴裏が全部地面についた足跡だった。
 その後をついていく、丸いつま先の、普通の靴あと。
 雪道を歩いて来たようで、たっぷりと水が溶け、しみを作っている。
 陽が当たらないので、大きな足跡の方には、雪の固まりが残っていた。
 歩幅も広く、外股にゆったりと歩いた形跡。
 もうひとつは、まっすぐ静かに歩いた感じ。
「どんな人が入ってくるの、何も知らないセールスマンとか…」
「酔っぱらいが寝てたり、ホームレスが居るときもある。
 たまに苦情が来っから、そん時だけ見回りにくる。
 冬でもよくいるが、たいてい通路で寝てるさ。
 ぎっちり鍵かってるんで、部屋には入れない」
「そういう人たちが入り込むからかしら…」
 美雪は言った。
「ここ、無人って感じがしない。人の気配を感じる。ねえ、そう思わない?」
「さあな、幽霊でもいるんだかな」
 山奥は適当に返事をして、まず階段脇の部屋を2つ開けた。
 部屋の、南を向いた窓の向かいに、ビル裏窓が立ちふさがる。
 古くなった畳と破けた障子、剥がれてもとの柄も判らない壁紙。
 棲むことになったら、大家にあるいていど直してもらうよう交渉してみよう。
 美雪はそう考えながら、ひとつひとつの部屋を見る。
 全部で8部屋だが、4号室はない。
 やがて、階段奥の、東側の部屋を見、最後の西部屋、9号室に行き着いた。
 山奥が9号室の戸を開け、美雪とともに中へ入った。
 キッチンを抜け、窓の大きな6畳間へ足を踏み入れる。
 と、そこには奇妙なものがあった。
 黒い背広を着た男が寝ていた。
 鍵がかかっていたはずなのに。
 男は、窓際でうつぶせになっている。
 窓と障子は閉まったままで、中がよく見えない。
 美雪は山奥を呼んだ。
「あの、人が寝てるんですけど」
「何だって?」
 キッチンでジャンパーの雪を落としていた山奥が6畳間へ入ってきた。
 美雪は、男を指さした。
「しょうがないな、どうやって入り込んだんだ……、おい、あんた!」
 山奥は、男の肩に手をかけ、揺さぶった。
 返事はない。
「おい!!」
 彼は男の頭に手をかけ、目を覚まさせようとした。
 瞬間、その頭は、ずるりと山奥の右手から滑り落ちた。
 妙な感触に驚いて手のひらを見ると、べったりと血がついている。
 後頭部が大きくへこみ、顔は血でよく見えない。
「おい、見んなよ」
 山奥が、絞り出すような低い声で言ったのを、聞くか聞かないかのうちに、
 美雪は、床に転がった男の頭に注目した。
「あっ……!」
 美雪は、目をそらした。
 だが見るまいと思っても、つい美雪の目は彼に向く。
 山奥も、血まみれの手を見つめ、固まったままだ。
 寝ていた男は、ぴくりとも動かない。
 死んでいた。
 薄暗かった9号室に、正午の陽差しが入り、
 血だまりをはっきりと照らしはじめた。
2005年10月24日更新

非常線
 
 6・非常線の中で

 警察を呼んだ後、現場はすべて県警の仕切るところとなった。
 現場一帯に非常線を張り、山奥と美雪は現場で状況説明をした。
 吹雪はやみ陽がさし、静かな街中の一角を、警察車両がとりまいている。
 周りに人もあつまり始めた。
 
 担当刑事は、千戸警察署、捜査一課の警部、宮蔵 直行(みやくらなおゆき)。
 40代半ばで、背が高く、細く鋭い目つきの刑事だった。
 出身は千戸と反対側の津軽だが、数年前から南部地方に配属となったという。
 美雪はなくし物をとりに警察へ行ったことがあるだけなので、
 殺人課の刑事を見るのは初めてだった。
 あと見たのは、中学生のとき家出をして補導に遭ったときの交番の巡査、
 あと、和田でまだ未解決の殺人事件を聞き込みにきた刑事。
 けっこうあるか…
 こうして思い返すと、人生のうちで何度も警察の人間と会っているものだ。
 宮蔵は、ほとんど津軽弁を話さず、津軽人特有の饒舌さもない。
 かといって東京言葉も話さない。
 美雪には、無感情で官僚的な第一印象があった。
 第一発見者である、不動産屋の山奥と美雪には、執拗に状況を聞いてきた。
 とくに山奥などは、鍵をもって部屋に入ることのできる人物である。
 また、違法なゲーム喫茶の経営にも手を染めているらしく、
 出頭を求めてきたので、後で刑事と一緒に千戸警察署まで行くことになった。
 別件で引っ張り、詳しく事情を聞くのだろう。
 警察の嫌いな山奥には災難である。
 美雪に対しても、現場でアリバイその他について、くどく追及してきた。
 警察は、こちらがあきれかえるほど、何回も同じ事を聞いてくるものだと思った。
 担当の宮蔵は、東北大出身のエリートという事だった。
 しかし、美雪には、まったく的はずれな捜査をしているように見えた。
 宮蔵は、たまたま一緒に藪中荘を訪れただけの2人にたいし、
「失礼ですが、山奥さんと藤原さんのご関係は?」
 と聞いてきたのである。
 それに対して、美雪は、
「あたしとこの人は、縁もゆかりもない赤の他人です」
 と言い捨てさらに、
「見当違いな質問より、さっさと犯人を追いかけてもらえないんですか?」
 と言ってしまった。
 宮蔵は、一瞬押し黙り、むっとした表情をした。
 だがこの土地は、よそ者をたやすく受け入れない。
 土地と役人の癒着を防ぐとかで、警察署も、南部には津軽の人間、
 津軽には南部の人間が配属になることがままある。
 土地の事情に通じない者が聞き込みにまわっても、有益な情報を拾えない。
 さらに2年おきに転勤し、よそ者はいつまでもよそ者のまま、いなくなる。
 この体質が事件解決を難しくしているのだ。
 これで、警官になんでも話せと言っても無理な事である。
 そのことを判っていたようで、彼はあまり協力的ではない目撃者にたいし、
 とくに腹もたてず、淡々と捜査をすすめた。
 被害者の身元は分からなかった。
 外見では、年齢30代半ば、男。身長175センチくらい、中肉。
 顔は血でよく見えず。
 黒いスーツに、黒いネクタイを締めていた。
 美雪たちが最初に見たときは、コートを着ていないように見えたが、
 明るくなると短いカシミヤのステンカラーコートを着ていたのがわかった。
 ただ、それも色は黒に近いチャコールグレーだった。
 髪は散髪したばかり。
 襟足はきれいに刈り込み、ひげも朝に剃ったようだった。
 身元を証明するものは、何もなかった。
 現場の警官たちはあらゆるポケットをさぐった。
 結果、財布や、運転免許証、その他何らかの身分証明書も、何も出てこない。
 そして、指紋も出てこなかった。
 この寒さの中、被害者でさえ手袋をはめていた。
 凶器もなく、血痕は被害者の頭部周辺にあっただけ。
 犯人は、用心深く凶器をしまい込んで出たようだ。
 警官たちは、残った足跡を分析にかかった。
 通行人は多すぎて、これは目撃情報の提供に頼るほかない。
 藪中荘の前にある、ビル裏窓の住人にも聞き込みに行った。
 誰も、事件の事を知らず、物音、悲鳴も聞いていなかった。
 ビルの裏には窓がないのである。

 6・家主の雲徳
  
 事情聴取の合間に、山奥は通路でごもごもと文句を言いはじめた。
 寒いので警察の車に乗るよう、婦人警官が2人に勧めてきた。
 だが車のまわりは人垣がすごいので断った。
「もう、藪中荘はダメだな。大家にも、店子探しをあきらめてもらうしかね。
 あんたも、ほかを当たれ」
「どうなるんですか、ここは」
「こんな事件が起きたからにゃ、借り手はつかないし、
 古いから取り壊すしかないだろう。
 さっさと壊して土地だけでもバブルのときに売っときゃ、
 大儲けできたのにな。もうどうにもならん、まったく」
 山奥は、眉間に深く縦皺を寄せて言った。
「警察は大家も疑うわね」
「まぁ、当然事情は聞くだろ。こういう事になったから、
 一応、あんたにも教えとくが、大家ってのは……
 雲隠徳蔵(くもがくれ とくぞう)っていうんだが、
 もう80過ぎの爺いだ。人殺しなんかできないさ」
「雲隠さんっていうの?おもしろい名前……」
「あだ名だよ。この辺じゃ、雲徳(クモトク)って呼んでる。
本名は石渡徳蔵(いしわたり とくぞう)。もとは大地主さ。
戦前は羽振りが良かったども、
農地改革のおかげで、残ったのはここと山林、町はずれの宅地だけだった」
「あら、その雲徳さん、うちと同じだわ」
「あんたも落ちぶれ組かね、お家再興を狙うか?」
「なによー」
 山奥がからかったので、美雪はふくれた。
「せめても、藪中荘の土地を80年代バブルの時に売ってりゃ、
 こんな田舎でも長者番付に載るくらい儲かったのにな。
 先祖伝来の土地で愛着が有るとか言って売らなかったから、
 いまも恩給と年金で細々と暮らす羽目になった。
 山だって、持ってるだけじゃカネにならねし、固定資産税も高い。
 …まぁ土地への執着はわからないでもないが…あれから20年間、
 女房に責められ通しで、昼間はいっつも家から姿をくらまし、
 タヌキ小路のストリップ婆さん料亭で酒を呑んでる。
 だから、事情を知ってる奴らが雲隠れの徳蔵爺さん、
 そう言ってからかうようになったのさ」
「みんな口が悪いのねぇ」
 そう言う美雪も口の端が笑っていた。
「あんときゃ俺もまずいと思ったな。山奥不動産も、まだ親父の代で…
雲徳があんまり頑固なもんで、親父は怒り狂ったもんだ。
腹いせに母親を踏むくったら、お袋包丁持ってきて親父に斬りつけてなぁ。
近所の奴が警察呼びやがった。なに、次の朝にはケロッとしたもんだったさ。
無理もない。おかげでうちはすっかり儲け損なった。
藪中荘の土地を関西の連中に仲介すれば、
億の金が転がり込むとこだったのさ。ど田舎とはいえ、街中だしな。
そうなれば今頃はパチンコ屋でも建ってたべ。
それがいまこの時代…人殺しも出たとあっちゃ、
二束三文の値段でも売れね。お荷物さ。まったく」
 そう言って、山奥は大きくため息をついた。
 そこへ宮蔵がやってきて告げた。
「えーと、これでいったん今日は終わりです。
山奥さんは、一緒に来ていただけますか。ほかの件もありますので」
「はいはい、嫌なことは先に済ませた方がいい」
「そして藤原さんには、後日、あらためて事情をお聞きしますので、
今日はお帰り下さい」
「あたしにも?もう話すことなんてないわ」
「そう言わずに。捜査への協力は、市民の義務ですよ」
「千戸市民じゃないです」
 美雪は面倒だったのでささやかな抵抗をしてみた。
「だけど住民票は移したでしょ」
 が、宮蔵のこの一言で却下となった。
 そして現場から離れた山奥と美雪は、非常線を張った敷地内を抜け出したとたん、
 待ちかまえていたマスコミの取材攻勢に遭った。
 地方新聞社が2つあるだけなのにどこからこれほど人が湧いてきたのか。
 中央新聞の支局からも記者がやってきたようだ。
 頭の整理もつかないうちに、何十本ものマイクが突き出て、質問攻撃が始まる。
 誰かが聞き終わらないうちに他の記者が割り込んでくる。
 だから何を聞いているのかわからない。
 フラッシュをひっきりなしに焚いてくる。
 ようやく聞き取ることができた質問は、
 「死体を見てどう思いますか!!」だった。
 
 気持ち悪いに決まってるだろボケ。
 
 PTA(正しくはPTSD)起こしそうだよ。
 美雪は心の中で(あくまで心の中で)叫んだ。
 二人はノーコメントを貫いて抜けだした。
 美雪はタクシーを拾って自分のマンションへ逃げ帰った。
 山奥は宮蔵と警察署へ行ったが、気にかけている余裕はなかった。   
「では後ほど連絡させていただきますから」
 現場を出るとき、宮蔵はふたたび、含みのある口調で言った。
 山奥はどうか知らないが、これ以上、美雪に何を聞くことがあるのだろう。
 美雪は男の撲殺死体見つけただけだ。
 何の関係もないのに、痛くもない腹を探っている。
 警察は、人を疑うのが商売。とはいえ…
 自分は、ただのデパート店員である。
 これ以上、事件の関係者と見なす必要があるのか。
 
 7・ニュース
 
 その日の夕方、マンションの自室に戻った美雪を、激しい疲労感と倦怠感が襲った。
 自分が住みたかった部屋に、死体があった。
 それも、後頭部を一撃で殴打した他殺体。
誰も、見知らぬ人物だった。
 美雪はお気に入りのブーツにシューズキーパーもささず、
 しばらく絨毯の上にふさった。 
 所持品のうちでいちばん高い、
 東京の鍋島屋で買った柔らかい革のイタリア製ブーツを、
 チャックを下げたまま玄関に脱ぎ捨てた。
 その状態は、さながら魚のホッケ開きがだれっと2枚いるように見えた。
 が、片づけるどころの心境ではなかった。
 今日あったことが、頭痛とともに頭の中を駆けめぐる。
 理不尽さに腹だち、美雪はしばらくなにもする気が起きず絨毯でフテ寝した。
 暖房を入れ忘れたので、寒くなって自然に目が覚め、夜中に風呂を沸かした。
(家にいたころは、こんな時親たちが面倒を見てくれたな…)
 真っ暗くなった部屋の中で、苦笑した。
 このマンションは、バスルームが広く、湯もすぐに沸く。
 周囲に変な連中がたむろしてさえいなければ、住み心地のいい部屋だ。
 あーあ、まいった。
 楽しいひとり暮らしになるはずだったのに…
「なんであんなトコで死んでいるのよ、あの人…」
 美雪は犯人を知らないので、被害者に怒りがむかった。
 もちろん、それが理にかなわないということはわかっている。
 不可思議な心理状態だ。
 美雪は熱い湯につかった。
 からだの疲れだけは、ほどけていった。
 
 湯船につかって、少々気分がおちついた。
 上がってパジャマを着、テレビをつける。
 中央のニュースが、美雪が遭遇した事件一色である。
 田舎都市で起こった、目撃者なき殺人。
 もう見たくもなかったが、つい見入ってしまった。
 報道の、状況説明は確かだった。
 男性キャスター、海越敏太郎の、緊迫した声を聞く。
 美雪好みの渋いインテリ中年だ。
「…検視の結果、犯行時刻は、遺体発見時刻の2時間から3時間前、
 午前9時から10時の間であることが判りました。
 鈍器による撲殺で、凶器は特定できていません。
 明日、大学病院で司法解剖を行い、詳しい死亡原因と凶器の特定を行う予定です。
 地元警察によると、現場には凶器も犯人の遺留品も残っておらず、
 捜査は難航しそうだとのことです。
 が、閑静な田舎都市での目撃者なき殺人は、
 時間がたてば経つほど解決が難しくなるものです。
 適切な捜査と、一刻も早い犯人検挙が求められます」
 歯切れのいいニュースを聞きながら、
「そうは言っても、なかなか見つけられないのよ、こんな田舎じゃね」
 美雪はテレビの海越に向かって呟いた。
「癒着防止かなんか知らないけど、津軽の警官ばっかよこしたって、
 地元の事情に通じてないし、だいいち2年かそこらで転勤になるから
 やる気もないのよ」
 ひとりでごもごも言い始める。疲れたときの癖である。
 男の身元は、まだ分からない、とのことだ。
 興奮してよく眠れないので、冷蔵庫からビールを出し、一気に飲み干して寝た。
2005年10月25日更新



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