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形骸腐臭列島偽婚─不可思議な関係 サンプル版
麗澤檸檬
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第一章 アルバイト
銀座の居酒屋・・・・・・。世間知らずの私は、サラリーマンが
よく連れだって行く一杯飲み屋程度に考えていました。ところが、
実際に行ってみると、お店の四方を壁で囲まれた格式のある料亭の
ような造りで、お料理も一品の単価が高く、お客様も年配のお金持
ちと思われる紳士が多かったのです。未成年でもあり、店主は保護
者の同意書が必要だと言いましたが、事情を話すと条件付きで了承
してくれました。条件は勤務時間を平日の午後六時から午後九時ま
でとすること、学業に何らかの支障が出た場合、あるいは近親者か
ら苦情が出た場合は即刻解雇することでした。
接客係とは、わかりやすく言えばウェイトレスのような仕事です。
お客様の注文を聞いて厨房に伝え、出来上がった料理をお客様のお
席に運びます。一日三時間でしたが、慣れるまでは疲れました。着
なれない着物を着なければならないこともストレスになりました。
三ヶ月が経過し、いくら時給が良くても平日の三時間程度ではお
小遣い程度にしかならないことに焦りを感じ始めたとき、お客様の
一人に声をかけられました。クラブホステスのスカウトをされてい
る方でした。「興味があったら一度店に来てください」とおっしゃ
り、名刺をくださいました。名刺には会社名とお店の名前、代表取
締役 前澤敏明 と書かれてありました。四十代半ばの落ち着いた
物腰の温厚そうな紳士のように見受けられ、私はお店に行ってみる
ことにしました。
アルバイトが終わった午後九時過ぎ。私は銀座のそのクラブのあ
るビルの前に行きました。師走の街の喧騒を弾く真空の霊域でもあ
るかのように、その場所は思いなしか輝いて見えました。ビルは一
階が一面ガラス張りの外車ショールームになっていて、壁や床は総
大理石造りの瀟洒で荘厳な雰囲気のただよう十階建てでした。お店
はその八階にありました。
「前澤さんはいらっしゃいますか?」
私は重厚な造りのお店のドアを開けて、控えているタキシード姿
の若い男性に声をかけました。
「少々お待ちください」
彼はワイヤレスインカムで連絡をして、
「すぐまいりますので、こちらでおかけになってお待ちください」
と言い、入口近くの小部屋に通してくれました。部屋の内装やソ
ファーは一見してお金がかかっており、格式のあるクラブの威厳の
ようなものを感じました。
ノックの音がして、前澤さんがにこやかに現われました。
「いらっしゃい。よく来てくださいました」
彼は今夜もダークスーツをそつ無く着こなして、高校生の私が見
ても、ダンディーでやり手のビジネスマンといった雰囲気が漂って
いました。彼はテーブルを挟んで私の正面に座ると、呼び鈴を鳴ら
し、
「何か飲み物はいかがですか?遠慮しなくてもいいですよ」
と穏やかに言いました。
「それでは、紅茶を」
私は緊張しながら答えました。
彼はすぐに来た先ほどのタキシード姿の若い男性に飲み物を指示
すると、私の履歴書に目を通しました。
ほどなく紅茶が運ばれてきました。
「高校二年生ですか・・・・・・。立ち入ったことを聞きますが、
アルバイトをする理由を聞かせてもらえませんか?」
「付き合っている人がいるんです。彼と付き合うためにお金が必
要なんです」
私は正直に答えました。
「そのことを親御さんはご存知なのですか?」
「いいえ」
私は俯きながらゆっくり言いました。
「そうでしょうね」
彼は微笑みながら続けました。
「あなたは素直な人だ。気に入りました。ところで、あなたはク
ラブの仕事について、どの程度ご存知ですか?」
「女性が男性にお酒を注いだり、お話をしたりして、おもてなし
をする場所?ですよね」
私は少し緊張しながら答えました。
「おっしゃる通りです。本当は未成年では働けないこともご存知
ですね?」
彼はゆっくりと聞きました。
「はい。前澤さんとお会いすることができた居酒屋でも、条件付
きでお仕事をさせていただきました」
「そのときの条件と時給を聞かせてもらえますか?」
私は緊張しながら答えました。
彼は少し考えてからおもむろに言いました。
「もし、ここで働いてもらえるならば、同じ条件で十倍の時給を
約束します」
彼はゆっくり続けました。
「但し、未成年ですから学業優先にしてください。親御さんから
苦情があった場合は即刻辞めてもらいます。時給が高いということ
は、お客様への接客のクオリティーが高い、ということです。慣れ
るまでは私が決めた当店の接客のプロにアシスタントとして付いて
もらいます。最初に申し上げておきますが、接客のプロとして報酬
を得るということは簡単なことではありません。ただ、向き不向き
ということがある。私はあなたを初めて見たときに直感的にあなた
が接客に向いていると感じたからお誘いしたまでです」
部屋の柱時計を見ると午後十時を回っていました。
「私にできるかどうかまだ分かりませんので、自分なりの判断が
つくまでやらせていただけますか?」
私はゆっくり聞きました。
「結構です。勤務時間は平日の午後六時から午後九時まで、時給
は先ほどお話した金額で書面にいたしますので、次回に来社された
ときにお渡しします。いつから勤務できますか?」
「年明けからでもよろしいですか?」
「年明けは六日から営業を始めますが、その日からでもいいです
か?」
「はい」
「それでは当日は簡単な仕事の説明をしますので、午後五時に来
てください。今日は遅くまでありがとうございました。気をつけて
帰ってください」
彼はビルの下まで送ってくれました。
その年の大晦日、私と藤沢寛太は以前から約束していた二年参り
をしました。年末料金でいつもより割増の赤坂のホテルに宿泊の予
約を取り、赤坂氷川神社にお参りして年越し蕎麦を食べ、ホテルで
年明けまで過ごして再びお参りしました。私たちはお互いに、新し
い年が二人にとって重要な年になるに違いないと感じていたのです。
年明けの一月六日、私は前澤さんとの約束通り、午後五時にお店
に初出勤しました。お店は昼間から従業員の新年会があったようで、
店内はホステスやスタッフと思われる大勢の人たちで華やかな雰囲
気がありました。前澤さんをたずねると、先日と同じ入口の小部屋
に通され、待ちました。ほどなく彼がにこやかに現われました。
「新年おめでとう」
彼は今日も渋いダークスーツを着こなしていました。
「明けましておめでとうございます」
「お正月は楽しめましたか?」
「はい」
「今日から仕事始めですが、リラックスして自然体で接客してく
ださい。慣れるまでは無理をせず、何かあったら必ず私に言ってく
ださい。今日は店のママに紹介します。彼女は分かり易く言えば、
店内の司令塔です。表向きでは店を仕切っています。分からないこ
とがあったら、遠慮せず何でも彼女に聞いてください。質問はあり
ますか?」
「いいえ」
私は少し緊張しながら答えました。
「それでは私に付いてきてください」
彼はゆっくりと小部屋を出ると、私と歩調を合わせて店内の奥に
向かって歩き始めました。私は初めて見るクラブ店内の煌びやかさ
に、場違いな自分がいるように思えて、落ち着きませんでした。店
内は予想以上に広く、迷宮に入ったような不思議な感覚に陥りまし
た。店の奥まった特に内装が豪華なスペースに、二十代後半くらい
の落ち着いた和服姿の美しい女性が大ぶりのソファーに腰掛けてい
ました。
「少しここで待っていてください」
前澤さんは低い声で言うと、彼女に向って歩いて行き、少し話し
ていました。
「山本さん、こちらに来てください」
彼は私を呼びました。
「ママの香織さんです。こちら、今日からアルバイトに入っても
らうことになった山本亜理紗さんです。自己紹介してもらえますか
?」
「はじめまして、山本亜理紗です。十七歳の女子高生です」
私は緊張して少し声が震えていました。
「まあ、可愛らしい!フランス人形みたいじゃない!そんなに緊
張しなくてもいいのよ。妹ができたみたいで嬉しいわ。でも、お客
様に十七歳の女子高生です、なんて言っちゃダメよ」
香織さんは立ち上がり、華やかに笑いながら言いました。立ち上
がると、彼女は私と同じかそれ以上の背丈があるのでした。
「では、よろしく頼むよ」
前澤さんは彼女に言うと、私に
「今日は初出勤だから、八時まで勤務したら、私の所まで来てく
ださい」
と言い、店内に歩いて行きました。
「亜理紗ちゃん、ここに来て一緒に座りましょう」
香織さんが私の手を取って言いました。二人で並んでソファーに
座りました。
「初めてだからさぞかし不安でしょうね。私がお店に初めて出た
のも、あなたと同じ歳だったから、気持ちはよく分かるわ。私は今、
二十七歳。夢中で十年が経ってしまったのよ。分からないことや困
ったことがあったら、何でも私に言ってね」
香織さんは私の眼を真直ぐに見ながら、ゆっくりと続けました。
「これからのことを簡単に説明するからよく聞いてね。まず、今
着ている私服をドレスに着替えてもらいます。サイズは九号ね。私
のお古で申し訳ないけれど、何着か選ぶから、当面はそれを着てち
ょうだい。奥に更衣室があるから、後で案内します。それから、お
店ではしばらくの間は私に付いてもらいます。何か質問はある?」
「いいえ」
「それから、お店でのあなたの呼び名は『檸檬(レモン)』にし
ます。いいかしら?」
「はい」
私は少し緊張して答えました。
「六時には開店するから、急いで更衣室で着替えましょう」
更衣室で香織さんのカクテルドレスに着替え、彼女にメイクをし
てもらいました。私は今まで本格的なお化粧をしたことがなかった
ので、メイクの道具すら持っていなかったのです。全身鏡で自分を
見ると、別人のようでした。
「きれい・・・・・・。やっぱり、宝石の原石だわ・・・・・・」
香織さんが独り言のように呟きました。
年明け早々にクラブに来る人がいるのかしら、と私は内心思って
いましたが、七時を回る頃から混み始め、八時近くには広い店内の
ほぼ八割がお客様で埋まりました。ほとんどが常連客のようで、年
始挨拶の帰宅途中についでに寄ったといった感じでした。ホステス
は私を含めて二十人くらいでしたが、全員が揃って接客するのでは
なく、香織さんがお客様のご意向に応じて采配し、ホステスを配置
しているようでした。私は初日でもあり、香織さんに付いてお客様
の席に新人挨拶に回る程度でしたが、お酒が入って上機嫌の常連客
の中には、「(私を)指名したい」とあからさまに興味を示す年配
の方もいらっしゃり、香織さんが「今日が初日だから」と丁寧に取
り成していました。
八時を回ったので、私は香織さんに終業を告げました。
「お疲れ様。初日にしては合格点よ。帰宅してから疲れが出るか
もしれないから、ゆっくり休んで明日もよろしくね。前澤社長が更
衣室の隣の社長室にいると思うから、着替えが済んだら寄ってね」
彼女は微笑みながらウインクをしました。
「ありがとうございました。お先に失礼します」
私は更衣室で着替えをして、お化粧を落とすと、社長室のドアを
ノックしました。
「はい」
前澤さんの声がしました。
「山本です」
「どうぞ」
私は静かにドアを開け、中に入りました。
前澤さんはデスクに座り、パソコンを見ていたようでしたが、立
ち上がって私にソファーを勧めると、自分も机を挟んで私の正面に
座り、相好を崩しました。
「お疲れ様。初日はどうでしたか?」
「初めてだったので、少し緊張しました」
私は正直に答えました。
「続ける自信はありますか?」
彼は微笑みながら聞きました。
「香織さんにとてもよくしていただいて、感謝しています。香織
さんの下でお仕事を覚えて、自分なりにがんばってみたいと思って
います」
私はゆっくりと答えました。
「くれぐれも無理をしないようにお願いします。まだ、学生なん
だから、学業を優先してください。無理だと思ったら、遠慮なく連
絡してください」
彼は穏やかに続けました。
「約束通り、勤務条件を書面にしました。後で確認してください」
彼は私に封筒を渡しました。
「極端なことを言うと、始めることは誰にでもできますが、続け
ることはなかなかできない。一見すると華やかな世界のように見え
るかもしれませんが、奥が深いところです。お客様が入って、納得
してお金を払ってくださるから、お給料がもらえるわけです。楽し
んでくださり、寛いでくださる。安い飲み代ではないけれど、また
来よう、と思ってくださるから商売として成り立つのです。そのあ
たりは理解していただけますか?」
「はい」
私は緊張して答えました。
「アルバイトとは言え、報酬をもらう、ということは、その道の
プロとして認められるということです。だから、嫌々ながらここに
来るなら、来ない方がいい。私が言っている意味が分かりますか?」
彼はいつも通りのにこやかな話し方なのですが、眼は真剣で笑っ
てはいないのでした。
つづく
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