[肖像ドットコム]時空を超えて~歴代肖像画1千年

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歴史好きのための雑学辞典。信長、信玄、秀吉、家康、モーツァルト、ベートーベン、ジャンヌ・ダルク、モナリザ…古今東西の肖像画を、紀元2千年の肖像画家と一緒に読み解いていきましょう!ビジネスエリート必見、知らず知らず芸術に精通します。

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メルマガ名
[肖像ドットコム]時空を超えて~歴代肖像画1千年
発行周期
不定期
最終発行日
2018年07月31日
 
発行部数
124部
メルマガID
0000217722
形式
PC・携帯向け/テキスト形式
カテゴリ
ニュース・情報源 > 雑学・豆知識 > その他

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肖像画・油絵の注文制作 肖像ドットコム http://www.shouzou.com/

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 【肖像ドットコム】時空を超えて~歴代肖像画1千年   No.0026-1

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                          2018年07月31日発行

★★★歴史上の人物に会いたい!⇒⇒⇒過去に遡り歴史の主人公と邂逅する。
そんな夢を可能にするのが肖像画です。

 織田信長、武田信玄、豊臣秀吉、徳川家康、ジャンヌ・ダルク、モナリザ
……古今東西の肖像画を画家と一緒に読み解いてみませんか?


□≪今週の内容≫―――――――――――――――――――――――――□

【1】 セザンヌ作「ヴィクトール・ショッケの肖像」(個人蔵)
【2】 肖像画データファイル 
【3】 像主について

 ※以下の【4】【5】【6】【7】の項目は、No.0026-2 に収録予定。

【4】 作者について 
【5】 肖像画の内容 
【6】 次号予告
【7】 編集後記

□――――――――――――――――――――――――――――――――□


◆【1】「ヴィクトール・ショッケの肖像」━━━━━━━━━━━━━━◆

 ポール・セザンヌはオーギュスト・ルノワールの親友で、印象派の同志であ
ると同時に、近代絵画の父、現代美術の先駆者と呼ばれています。

 “印象主義の絵画”に確固とした存在感と造形性を与えたいと考えたセザン
ヌは、長く不遇の人生の中で、孤独な探求の道を歩み続けました。

 彼が描き続けた作品群は、ゴーギャン、ピカソ、マチス、ボナール、スーチ
ン、ムーア、ゴーキー・・・数えきれない多くの芸術家に影響を与え、フォービズ
ム、キュービズム、表現主義といった20世紀の前衛芸術の契機となりました。

 セザンヌはコレクターであったヴィクトール・ショッケを6枚の肖像画に描い
ています。その中で、本作品は最初に描かれたものです。

 また偶然にも、ルノワールの「ジャンヌ・サマリーの肖像」とほぼ同じ時期に
制作されました。

 21世紀の私たちには、もはや異様には感じられないかもしれませんが、1877
年の第3回印象派展に展示されたとき、この肖像画は会場中の笑いもの、呼び物
となり、「殺人鬼」「見たら黄熱病になる」などと非難されたのでした。


★★ルノワール作「ヴィクトール・ショッケの肖像」はこちら
⇒⇒⇒ http://www.shouzou.com/mag/p26.html


◆【2】肖像データファイル ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆

作品名: ヴィクトール・ショッケの肖像
作者名: ポール・セザンヌ
材 質: 油彩(キャンバス)
寸 法: 45.7×36.8cm
制作年: 1876-77年
所在地: 個人蔵(ニューヨーク)
注文者: ヴィクトール・ショッケ

意 味: パリの税関管理局の下級官吏だったショッケは、ルイ13世から16世
時代の家具・骨董品を所有しており、19世紀フランスのロマン主義の画家ウジ
ェーヌ・ドラクロワの絵画の熱心なコレクターである。

 彼は晩年のドラクロワに肖像画制作を断られた経験があった。

 新進画家であったルノワールやセザンヌに、ドラクロアと共通する芸術性を
感じたショッケは彼らに肖像画を依頼する。ショッケにとってセザンヌはもう
ひとりのドラクロアとなるのである。


◆【3】像主 ヴィクトール・ショッケ(1821-91)について━━━━━━━━◆

 画家と出会った当時の年齢は54。誰が見ても狂人としか思えない絵を描いて
いたセザンヌの本質を、瞬時に把握した目利きの天才である。

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 ヴィクトール・ギヨーム・ショッケは、1821年12月19日、ベルギー国境の町
・北フランスのリールで製糸工場を経営する資産家の家庭に生まれた。

 父はアドリアン・ジョゼフ・ショッケ(1777-1851)、母はマリー・ジョゼフ
・ソフィー・ヴァントワイヤン(1785-1836)。

 若きヴィクトール・ショッケは、パリに出て、税関管理局の文書係という下級
官吏の職を得る。

 収入は決して多い方ではなかったが、彼には芸術を熱烈に嗜好する性癖があ
った。早い時期から食事や着るものを節約しては、手ごろな価格で入手できる
一流品を探し求めた。

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 彼の確かな審美眼と他人に影響されない自信、パリ中の画廊や骨董店に関する
知識や、忍耐力と根気強さ。古臭いもの、新奇なものを評価しようとしない時代
の誤ちを利用して、少ない資金で見事なコレクションを築いていた。

 ルイ13世、15世、16世時代の家具・骨董。陶磁器。

 絵画では、ロココ様式の画家アントワーヌ・ワトー(1684-1721)に熱中した
あと、同時代のロマン派の巨匠ウジェーヌ・ドラクロワ(1798-1863)の芸術に
魅せられた。

 生き生きとした歴史画、卓越した構成力、オリエンタリズム(東方趣味)、官
展系の画家には見られない、斬新な色彩感覚。

 ドラクロワはサロンとの長い闘いの末、1857年にアカデミー会員に推挙されて
からも一般大衆から支持されず、価格が高騰することのなかったためか、ショッ
ケにも比較的容易に入手できたのであった。

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 ショッケは1857年、36才のときマリー・オーギュスチーヌ・カロリーヌ・ビュ
イッソン(1837-1899)という二十歳の娘をめとり、パリに新居を構えた。新婦
は北フランス、バス・ノルマンディーのノナン・ル・パンの出身であった。

 彼女は自然を愛し、日曜日に夫を連れ立ってフォンテンブローの森を散策する
のを好んだ。そして夫の美術品への熱情にも静かに寄り添っていた。

 4年後ふたりの間には、娘が生まれている。マリー・ソフィー・ショッケと名付
けられたが、1865年父祖の地リールで夭逝。4つになったばかりだった。

 ショッケの蒐集熱は悲しみの癒しとなり得ただろうか。

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 きらびやかに装飾された陶磁器のコレクション。年代物の家具。20点のドラク
ロワ、3点のクールベに1点のコロー。若い夫婦のアパルトマンはひとつの美術館
となっていた。

 ショッケは1862年42才のとき、妻の肖像画を描いてもらおうとドラクロワを訪
れ、丁重に辞退されたという経験があった。目の衰えが理由であったけれども、
この画家にとっては死の前年の話で致しかたのないことだった。

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 1874年のことである。ショッケは美術愛好家仲間の噂を耳にした。キャプシー
ヌ大通りのナダールの写真館で『画家・彫刻家・版画家共同出資組合による展覧
会』が開かれるという。

 ショッケの鋭い嗅覚が反応した。聞き慣れない団体名だがと友人たちに尋ねる
と、異口同音に「やめておけ」という。「サロンに拒絶された素人絵描きの集ま
りだろう」と。

 ショッケは行くのを取り止めてしまった。“素人絵描きの集まり”は、とある
批評家によって『印象主義者』と皮肉された。

 一年後、ホテル・ドゥルオで印象主義者たちの絵画の競売が行われた。偶然こ
れに出くわしたショッケは、思わずのぞいてみた。悪くない。せりは紛糾してい
たのだが、ひどく価格が安い。迷わずモネという画家の1点を手に入れた。

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 もう一人の作品がしきりと気になった。ルノワールである。そこにはドラクロ
アを想起させる何かがあったけれども、これは落札せず、関係者から住所を聞い
て、手紙を書くことにした。

 12年前、ドラクロアで果たせなかった夢をこの画家に託してみよう。

 翌日手紙を受け取ったルノワールは、肖像画制作を快諾。ショッケのアパルト
マンを足繁く訪れ、まず夫人の、次に当人の肖像画が2点描かれた。

 その内の1点の背景には、達ての希望でドラクロワの絵が描き込まれている。

 肖像画の出来に大満足のショッケは、画家からさらに数点の絵を購入した。

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 ルノワールは、ドラクロワを崇拝するショッケ氏ならば、親友セザンヌの絵を
理解できるのではないかと考えて、タンギー爺さんの店に連れて行った。1875年
の10月のことである。

 画材屋タンギーは、才能ある貧しい画家たちに、売れない絵と引き換えに画材
を支給するという気のいい親父で、今や店舗は半ば画廊ともなっていた。

 ショッケはすぐにセザンヌを気に入り、「水浴する女たち」50フランを即金で
買った。「ドラクロワとクールベの間に掛けたらさぞいいだろう。」

 彼は翌月も1点、12月も1点のセザンヌを、50フランで購入している。

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 ショッケはルノワールを通じて、今度はセザンヌをリヴォリ通りの自宅に招待
することにした。

 ドア口に現れたセザンヌは、初対面のショッケに開口一番「あなたはドラクロ
ワがお好きだと、ルノワールが言っておりました」と話しかけた。

 ショッケとセザンヌはたちまちにうちとけて、たくさんのドラクロワの油彩画
やらデッサンやら引き出して、ふたりで仔細に検討するうちに、感嘆のあまり泣
き出してしまった。

 そしてショッケは、セザンヌにも肖像画制作を依頼し、たっぷりと時間をかけ
て「首像」(1876-77年作、個人蔵)と「全身坐像」(1877年作、オハイオ州コロ
ンバス美術館蔵)とが描かれた。

 さらにショッケのアパルトマンの居間を飾る「小舟と水浴する人々」(30cm×
125cmの横長作品、パリ・オランジェリー美術館蔵)と、これと対になる横長作品
1点を発注した。

 彼はセザンヌの芸術のあらゆる意図を世界でひとり理解したのである。

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 ショッケは1876年にモネと初めて会ったときに、慨嘆している。
「私は友人たちのために一年間を無駄にしました。彼らの忠告さえなければもっ
と早くにあなたを識ることができたはずです」と。

 ショッケはかの友人たちとは絶交してしまった。

 1876年の第2回印象派展の会場では、入場者たちに、展示作品の素晴らしさを
賛美し丁寧に説明するショッケの姿があった。

 翌1877年4月の第3回印象派展でも、開場から閉館まで毎日、入場者たちに親切
に語り続けたのである。しかし人々は彼を気のいい狂人としか思わなかった。

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 この会場には本作「ヴィクトール・ショッケの肖像」が「男の頭部(習作)」
と名を付した題名で展示されていた。画家とコレクターの自信作である。

 ところが、この絵は展覧会場の“一番の呼び物”となってしまうのである。

 見る人見る人。曰く、「セザンヌは狂人だ」「怪物だ」と。

 あげくのはてには「チョコレートで固められたビロワールだ」
(ビロワールとは、女性を切り刻んだ凶悪な殺人犯で、数日前に断頭台で処刑さ
れたばかりだった。)

 評論家ルロワは新聞に寄稿。

「もし妊娠している女性とこの展覧会に行くなら、セザンヌ氏の「男の頭部」の
前だけは急いでやり過ごすこと。黄色い、何とも異様な顔にショックを受けて、
彼女は生まれる子供を黄熱病にしてしまうだろう。」

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 セザンヌはこれ以後、沈黙を守り続けた。そして世間が正しく彼を見出すまで
には、あと20を数えるほどの年月を要したのだった。

 一方で、コレクターと画家の友情は、終生尽きることがなかった。

 セザンヌは1886年、南フランス、エクス・アン・プロヴァンスで銀行を所有し
ていた父の死によって莫大な遺産を相続。

 ショッケもまた、妻カロリーヌの母親の死によって、かなりの遺産を受け取っ
ている。北フランス、バス・ノルマンディーのアッタンヴィルの農場がショッケ
夫妻の所有となった。

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 1889年6月、アッタンヴィルに滞在していたショッケをセザンヌが訪れ、新し
い肖像画(フィレンツェ、スフォルニ・コレクション)を制作している。このと
きのショッケは、総白髪に白の背広で、庭木の前に足を組んだ座像であった。

 この年、ショッケはアルマン・ドリア伯爵からセザンヌの「首吊りの家」(パ
リ、オルセー美術館蔵)を譲り受けた。それは彼が唯一足を運ばなかった、1874
年の記念すべき第1回印象派展で、伯爵がセザンヌから購入したものであった。

 1890年、ショッケはパリのモンシニィ街の3階建ての邸宅に移り住んだ。この
ときにもセザンヌに装飾パネルの制作を発注している。

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 1891年4月7日、ヴィクトール・ショッケは、北フランス、オート・ノルマンデ
ィーのイヴトにて死去。69才であった。700キロ離れた、エクス・アン・プロヴ
ァンスに住むセザンヌは葬儀に出席していない。

 ショッケは他界するまでに82点のドラクロワと(その内23点が油彩)、コロー
1点、クールベ3点、セザンヌ32点、ルノワール11点、マネ5点、シスレー1点、ピ
サロ1点、ベルト・モリゾ1点を所有していた。

 ショッケの妻カロリーヌは独り身となっても、夫の愛したコレクションを手放
すことはなかった。

 1899年、カロリーヌ死去。享年62。この年、パリのジョルジュ・プチ画廊によ
って、ショッケの遺品の競売が催された。現在それらは世界中の名立たる美術館
や愛好家の所有となっている。


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