【中華文化サロン】
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目次
1.今日のトピック
「端午の節句と離騒」
2.ひとことフレーズ
「海帰」
3.著者略歴
4.編集後記
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【今日のトピック】
端午の節句と離騒
日本では5月5日は子供の日として、子供の成長を祝い健康を祈願します。中国では旧暦5月5日は漢民族の伝統な祝日である端午で、昔からちまきを食べ、龍舟を競い、菖蒲の葉を掛け、そしてお酒を飲むことなどが行われてきました。ちまきを食べることと龍舟を競う習慣は屈原を偲ぶためと言われています。
屈原は紀元前340年ごろに生まれた中国戦国時代の楚の大臣と詩人です。紀元前278年に楚の首都が秦の大軍に占領され、その年の旧暦5月5日に屈原は石を抱えて自ら汨羅江に身を投じました。
彼の名作である「離騒」は楚の懐王24年~25年(紀元前305年~304年)に作られ、全文は370句、2400字あまり構成された中国最長の抒情詩です。作品の中で自分の理想、遭遇、苦痛と絶え間ない情熱が率直に表現されています。屈原の強烈な個性は「離騒」に濃縮され輝いています。「離騒」は中国文学の財産だけではなく、世界文化の宝でもあります。
「離騒」の主人公霊均は自分の出生を誇りに思いますが、顧みないことから女シュ・霊氛・巫咸らの言辞を織り交ぜて、自分の愁い心情を「離騒」の詩で極めて象徴的かつ婉曲に訴えます。これは現実の楚の政治に対する屈原の憂憤の吐露であり、自身を投影したものとされています。詩は全部で17段あり、大きく分けて8つの部分から構成されています。16段構成との説もありますが、これは解釈の違いによるものです。
第1段―靈均敍初
第2段―指天爲正
第3段―成言後悔
第4段―長嘆掩涕
第5段―靈脩浩蕩
第6段―回車延佇
第7段―女シュ詈予
第8段―就舜陳詞
第9段―埃風上征
第10段―鬱妃結言
第11段―心猶狐疑
第12段―靈氛就占
第13段―巫咸決疑
第14段―瓊佩衆蔓
第15段―蘭止不芳
第16段―遠遊自疏
第17段―臨睨故郷
第1の部分では、作者は詩の主人公に託して、楚国宗室の大臣であることを説明し、彼の出身や名前の由来を紹介しました。
帝高陽之苗裔兮、朕皇考曰伯庸;
摂提貞于孟陬兮、惟庚黄吾以降。
皇覧揆余于初度兮、肇錫余以嘉名;
名余曰正則兮、字余曰霊均。
帝高陽の苗裔、朕が皇考を伯庸と曰ふ
攝提孟陬に貞しく、惟れ康寅に吾以て降れり
皇覧て余を初度に揆り、肇めて余に錫ふに嘉名を以てす
余を名けて正則と曰ひ、余を字して霊均と曰ふ
帝の後裔、わが亡き父を伯庸という。
寅歳の初春の歳星は正しく攝提格をあらわし、庚寅の嘉い日に私は生まれた。
父は初めて私を見て考え、はじめて私にめでたい名をくださった。
私を名づけて正則といい、字して霊均といった。
解釈:高陽―五帝のひとり、名は高陽。楚の先祖とされています
朕―僕
攝提―十二支の寅の別名である攝提格の省略形。
伯庸―屈系祖先の名前。
貞―正当
皇―皇考
孟陬―旧暦1月
正則―屈原の名前は「平」、公正且つ規律があるとの意味。
肇―「兆」と同じ
第2部分では個人の政治立場と観点が説明され、また君王に理解されない経緯が書かれています。
第3部分では屈原が政治戦争での失敗とその原因を分析しています。
第4部分では、個人の理想が実現できないのなら、政治界から身を引いて、田園生活を送っても悪くないのではないかとの決断が表現されています。しかし現実から逃げるという考えは作者の性格においては許され難いことであります。
第5部分では、お姉さんの忠告が書かれています。
第6部分では、彼が幻想の世界に落ち、恋人に求愛したが失恋してしまったことの苦痛を表現することにより、自身の理想に対する追求と失望が表されています。
第7部分では、屈原が憤慨しながらも、残るべきか去るべきかを迷っている様子が表現されています。
第8部分では、神霊の忠告を受けもうろうとしている精神状態で、最後の幻想が現れてきます。ところがその幻想もやがて破滅してしまいました。
抑志而弭節兮,神高馳之遼遼
奏《九歌》而舞《韶》兮,聊假日以愉樂
陟陞皇之赫戯兮,忽臨睨夫舊郷
僕夫悲余馬懷兮,蜷局顧而不行。
志を抑へて節を弭め、神高く馳せて之れ遼遼たり
九歌を奏して韶を舞ひ、聊く日を假りて以て愉楽す
皇の赫ギたるに陟陞し、忽ち夫の旧郷を臨睨す
僕夫悲しみ余が馬懐費、蜷局として顧みて行かず
ここで心をおさえ速度をとどめて、私の精神は高くはるかに駆ける。
啓の九歌を奏して舜の楽曲である韶を舞って、しばらく日時を借りて、ここで遊び楽しむのであった。
それから天の陽光のかがやく中を登っていく時、ふとあのわが故郷を目の下にちらりと見た。
すると私の従僕は国を去ることを悲しく思い、私の馬さえも故郷を恋い慕って、振り返りみて進まないのであった。
解釈:
遼遼―遥かに高くの意味
《九歌》―楚辞中の《九歌》は屈原が整理した祭祀樂
《韶》―つまり《九韶》、虞舜時代の樂曲と言われています。
假―借りる
陟陞―上昇
皇―皇祖
舊郷―首都を指しています。
蜷局―行ったり来たり、前へ進まずの様子。
亂曰:已矣哉,
國無人莫我知兮,又何懷乎故都
既莫足與爲美政兮,吾將從彭咸之所居。
乱に曰く、已んぬるかな。
国に人無く吾を知る莫し。又何ぞ故都を懐はん。
既に与に美政を為すに足る莫し。吾将に彭咸の居る所に従はんとす、と。
乱にいう、もうしかたがない。
国にすぐれた人がいないので、私を本当に知る者がない。この上どうして故都を思い慕おうか。
もはや一緒に立派な政治をするに充分な人物がいないのだから、私は彭咸のいる所に行って供に住むことにしよう。
【ひとごとフレーズ】
海帰 Hai3 gui1
留学先から帰国の研究者
今回もまた、新しい単語を1つ紹介したいと思います。それは「海帰(Hai3 gui1)」です。「海」と「帰」のそれぞれ単独の意味は日本語とほぼ同じです。ところがこの2つの漢字を組み合わせると「海外で先端科学技術を修得して、帰国した科学技術者」の略称となってしまいます。この言葉は最近になって新しく誕生したもので、日常会話やマスコミで良く使われています。「Hai3 gui1」は本来「海亀(Hai3 gui1)」との中国語で、意味も日本語と同じですが、同じ発音を利用しました。このような言葉の創意も中国語ならできるものですね。
「海帰(Hai3 gui1)」と言って相手をびっくりさせてみましょうか!
【執筆者略歴】
白門如是(はくもん ごとき):1960年代後半中国生まれ。
中国北京にある国家重点理工大学卒業。1993年に来日、
日本の国立大学大学院物性工学専攻博士課程修了。博士(工学)。
中国の大学時代、学生文学団体を主宰。
現在、翻訳と中国語教育関係の仕事に携わっている。日本物理学会会員。
【編集後記】
晩秋になって、あれだけ厳しかった残暑から一転して寒さを感じるようになりましたね。
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