月刊デザインの周辺……INSIDE AND OUT

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メルマガ名
月刊デザインの周辺……INSIDE AND OUT
発行周期
ほぼ 月刊
最終発行日
2018年12月01日
 
発行部数
19部
メルマガID
0001683893
形式
PC・携帯向け/テキスト形式
カテゴリ
アート・文芸 > 美術・デザイン > グラフィックデザイン

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Mail Magazine 月刊デザインの周辺……INSIDE AND OUT
第4号 2018/11/30
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2018 November :CONTENT

【今月のかたち】1 編集部から

【Design Review】by 大竹誠
■様々な時代の都市を歩く 4 ――1970年代を歩く■

【Cinemas Review】by 松村喜八郎
■映画を楽しむ 4 ――我が愛しのキャラクター列伝 2■

【Candid Review】by 志子田薫
■写真の重箱 4 ――続 カメラのハナシ■

【Marginal Review】by 鎌田正志
■デザインと言葉 4――白黒映画の中の女優たち――日芸出身の木暮実千代■

■編集後記■

●編集人=志子田薫+鎌田正志
●発行人=鎌田正志

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【今月のかたち】1

編集部で創刊時から気になっていることがあります。それはメルマガの組版。文字組の体裁です。メルマガはその名の通りメールを使った雑誌なのですが、
メールには決まった体裁というものがありません。見る人によって、使っているソフトによってどのような体裁にも変化します。そのため基本はプレーンテキストなのですが、配信する際にルールがあって、1行が全角で256文字を越えてはいけないことになっています。越える場合は256文字目で強制的に改行しないと配信できない。もちろんHTMLで文字組をすることも可能なのですが、現在の編集部の体制ではそれもなかなか難しい。何か良いアイデアはないものでしょうか?

【Design Review】
■■様々な時代の都市を歩く 4――1970年代を歩く■■地方の都市へ、都市の祭りへ、広場論へ。そして「京島」へ■■大竹誠

●国道を車で

→雑誌『都市住宅』(鹿島出版会)に遺留品に遺留品研究所として寄稿。題して“構えとしての表現”。そして、連載「イルテーション」の開始。
「イリュージョン」(幻覚)と「ノーテーション」(記譜)を重ねて考え出した合成語。「イルテーション」のネタを探しに九州へ。
川崎からフェリー“サンフラワー号”。夜中になったころ、それまで停滞していた九州沖の台風が突如高速で動き出す。船は大揺れとなり、多くの人が酔う。
魚河岸のマグロのように横たわりダウン。風呂に入るとお湯が30cmもの落差で波打つ。階段を通るにも左右の壁にぶつかる。恐る恐るデッキへ。
フェリーが隠れるぐらいの大きなうねり。暗闇に船からのライトが光る。船はコースを変えて神戸港へ。
朝の食事はすべて無料、そして船長以下スタッフ全員に見送られて下船。料金はすべて返却された。
しかし、神戸から九州まで、倉敷に一泊、唐津で一泊と返却された分の費用が出た。→国道沿いのドライブインの「キッチュなデザイン」。
屋上に載せられた「実物の古飛行機」、「大屋根にペイントされた巨大文字・マーク」、「ドライバーの目をキャッチする巨大看板」
→地方都市で出会った、「民家」、「酒屋の看板・漆喰レリーフ」、「土蔵」、「ホーロー看板」。「黄色に塗られた鳥居」。「バーバー・東京」と「サンセリフ体で書かれた看板」。「モーテル70」などロード看板。→ここでも、街の多彩、雑多な表情に圧倒され、大学で学んだことや、デザインの本から学んだことでは対応できないものがあることを知らされる→「還元不可能」性の発見。あるいは見たものをそのまま受け入れること。→しかし、“国道(準規=コードがあるだろう)”の中だけにいたのかもしれないという認識も。

●相馬の「野馬追い」へ / 山林での馬追いを見る。

→街にたなびく旗、旗。旗の色や柄の斬新さ。丸あり、三角あり、雷柄あり、はねる馬あり、モダンデザインとは違う迫力→目立つこと、勢いを感じさせること、風に揺られても誰だかすぐの分かることが追求されていた→旗を背中に差し入れ馬で崖を駆け上がり、草っ原で打ち上げられた神旗の「争奪戦」は、旗が主役のはためく場であった。真夏の祭り、気温は38度を超えていた。→隣町では前夜の花火大会。花火一つ一つに「提供○○○商店」とアナウンス入りで打ち上げられる花火。地域の誉れの演出なのだった。

●秩父の夜祭りへ

→3ヶ月前から秩父や近隣の街へ通いだす。祭りを前に、変容する街の空間。少しずつお化粧をしだす街。→倉から山車を出して、桐箱を開けて飾り物を組み立てる。
何日にも渡っての組み立て作業→街の中に響く鳴りものの練習→「祭り用白菜」、家の障子の張り替え、
練りまわる山車の侵入を防ぐための紅白のバリケード丸太の設営、サーカス小屋の設営、斎場(祭りのクライマックスで祭り屋台が集まる聖なる場)の観覧席の設営、
祭り屋台をあしらった記念タバコの発売、臨時電車の時刻表たれ幕、臨時につくられたお旅所など→街に流れる秩父音頭の曲、着飾った人びと、口紅をさして鼻筋を化粧した稚児→山車の曳き回し、山車を道路中央に置き左右の民家を舞台袖にした“町民歌舞伎”→斎場に打ち上がるクライマックスの冬花火→色めく街、色めく素材、覚醒する街、一晩経っても耳に残る鳴り物の音、思わず身体が動いてしまう軽妙なリズム→劇場としての都市の有り様。

●広場の調査

→よく使われている広場の条件を探しに。ジェイン・ジェイコブズの『アメリカ大都市の死と生』を台本にその視点から調査。東京都の美濃部都政の調査の一つ。
→広場を囲繞する建物、施設のあり方が広場の機能に影響を与える→広場の持ち主、あるいは広場を管理する人(主体)の管理条件によって広場は生きもするし、
死にもする→広場のデザインとはそのような、ありうべき活気ある広場の空間的条件、主体的条件、機能的条件のすべてをデザインすること→あるいは、新宿西口地下広場のように、利用者が「フォーク広場」として使用してしまうこと。広場という空間をつくっただけで広場となるのではないこと。→ありうべき条件の複合化→ともかく広場として見立ててどんどん使ってゆくこと、その動きを規制しないこと。動きの中から次の行動を発生させること、そのような仕掛け。

●墨田区京島地区実態調査で京島へ

→一つの街を二年かけて「悉皆調査」する。すべての路地を、すべての建物を見て歩く→歩いて得たデータをマップ上に落としていく
→「建物の木造・非木造分布マップ」「建物用途別業態マップ」「駐車状況マップ」「危険物貯蔵所マップ」「歩行者・自動車流量マップ」など
→これらのマップ化作業によって住商工が混在し、人口密度の高い東京下町の組成を学習する→もう一つのマップ化:京島の成り立ちを、江戸時代から、
明治、大正、現代までの何枚かの地形地図から読む→銀座線地下鉄工事から出た残土を湿地(浮地と呼ばれていた)に埋めた時代、
関東大震災後の住宅が立て込みだす時代、奇跡的に戦災を逃れた時代、その後の過密化時代など都市のダイナミックな変化が図像として了解できる体験→そして、京島らしさの学習:「関東大震災後に越後の大工によって建てられた木造長屋」。「路地を前庭として活用する暮らし」。「老朽化した木造建築が多いゆえ、火災に対する意識が高く、煙を見て火事か焚き火かを見抜く達人もいる」。また、「たむろして煙草を吸うことがないようにと、夜間の暗闇を無くそうとする人がいる」。
→街に響くめりやす織り機の音、玩具政策のプレス機の音。路地に数十ある駄菓子屋に群がる子ども。毎日、祭りのように賑わう「橘通り商店街」→地区の建物の変遷の要因:生活の拡張、開口部の修理、所有関係の変化による建物の改築。改築にふさわしい素材→木材、ブリキ、塩化ビニール波板、アルミサッシ、セメント→都市計画とはプランニングをする前に、詳細な地区の組成マップや実態調査マップをつくり、それらのマップを「読み込む」こと、あるいは「編集」することから始めなければならないことの確認。

●基地の街へ

→阿佐ヶ谷のデザイン学校での「都市・記録」ゼミをスタート。学生と街へ繰り出す授業→ベトナム帰りの巨大な輸送機(「ギャラクシー」)が発着する
「横田基地」。負傷兵を、戦死した兵士が送られてきている。→「アメリカンショップの並ぶ異国情緒溢れる国道16号線」。「欧文文字看板」「星条旗」
→私服刑事に尾行され、チェックされた「朝霞自衛隊駐屯地」。鉄条網と監視塔。実弾入りのカービン銃を手に持つ監視。びくびくしながら駐屯地内にカメラを向ける→あっけらかんと客を誘う「横須賀ドブ板通りの女」たち。「あんたたちなんなのさ」。山口百恵の歌が生まれる前だった。手っ取り早く客が店内を探れ、入れるカーテンだけの入り口。店に並ぶスタジアムジャンパーやフラッグ。兵士の記念、土産に肖像画を描く職人画家。「絹キャンバスに溶かした蝋絵具で描いてゆく」。「絹目の艶が生っぽい」。

→それらが何になるのか?わからない。わからないから歩き出した。教える側がわからないから、学生たちは一緒に問答を引き受けてくれた。同情の生まれる時間の共有。

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【Cinemas Review】
■■映画を楽しむ 4 ――我が愛しのキャラクター列伝 2■■松村喜八郎

■チャーリー・バリック/1973年「突破口!」

 ドン・シーゲル監督が「ダーティハリー」に続いて放った快作の主人公である。田舎の小さな銀行ばかり狙う強盗団のボスを名優ウォルター・マッソーが演じた。
なーんだ、小悪党の話か、マッソーじゃ颯爽としたアクションも期待できないなぁと馬鹿にしてはいけない。チャーリーは、
多くのギャング映画に登場する主人公のように腕っぷしが強いわけではないが、したたかな図太さと卓越した頭脳がある。
大金を盗めば警察が必死に捜査するから逃げ切るのは難しい。だから一攫千金の大勝負はせず、地道(?)に稼ぐ。それがチャーリーのポリシーだ。実際、それで成功してきたし、ニューメキシコ州のウェスタン銀行トレス・クルーセス支店にもたいした金はないはずだった。ところが、隠れ家に帰って盗んできた袋を開けてみると、入っていたのは100ドル札ばかりで、量も多い。少なくとも50万ドルはありそうだ。それなのに、テレビでは被害額が2000ドルと報じている。
 長年、裏街道を歩いてきたチャーリーはすぐにピンと来た。これはマフィアの隠しがねだ。マネーロンダリングするため国外に送金する寸前だったに違いない。えらいことになった。マフィアは絶対に諦めない。どこまでも追ってくる。知らなかったんです、お金は返しますと言ったところで許してくれる連中じゃあない。思わぬ大金を手にして単純に喜ぶ相棒ハーマン(アンディ・ロビンソン。あの「ダーティハリー」の凶暴かつ狡猾な殺人鬼〝さそり”である)をたしなめるように呟く。
「奴らに裁判などない。死ぬまで狙われる。FBI10人の方がマシだ」
 さぁ、どうする。チャーリーは必死に知恵を絞る。一方、マフィアは屈強な殺し屋、モリーを差し向けてくる。優しいタフガイといった風貌だが、情報を聞き出すために車椅子の老人を平然と押し倒すような男だ。声を荒げて凄んだりしないのがかえって怖い。モリーは裏のルートを手繰って隠れ家を探し当て、まずはハーマンを血祭りにあげる。とうていチャーリーが勝てる相手ではない。倒すことができたとしても、別の殺し屋に追われる。進退窮まったチャーリーはアッと驚く一手を打つ。
 ウェスタン銀行の頭取はマフィアの一員に違いない。頭取を罠にかけてやろう。そのためには秘かに頭取と接触しなければいけない。チャーリーは、まず本店に電話を掛け、頭取の秘書がフォートという名前であることを突き止めた後、道路上で花を売っていた少年からバラを買う。これが計画の第一段階だった。チャーリーが銀行の前で見張っていると、受付の男が退社しようとする女性に「フォートさん、贈り物です」と花束を渡す。あの女だ。チャーリーはフォートを尾行して家に押し入り、頭取と連絡を取るよう迫る。実に頭がいい。
 冒頭の銀行襲撃でも頭の良さが発揮されていた。用意周到なのだ。老人に化けたチャーリーが女房の運転する車でやってきて銀行の前に停める。
折悪しくパトカーに遭遇しても慌てない。駐車禁止だと告げる警官に包帯を巻いた足を見せ、小切手を換金する間だけだから見逃してくれるよう頼みこむ。警官が難色を示すと夫婦喧嘩を始める。「裏書すれば私が換金してくるのに」「これは私の小切手だ。余計な世話を焼くな。年寄りじゃない」「誰も年寄りだとは」「言ってるだろ」。本物の夫婦だから様になっていて、うんざりした警官が「もういい」と立ち去る。してやったり。
 ただ、計算違いだったのはこの警官が結構優秀だったことで、金庫を開けさせている間に盗難車であることを突き止められてしまう。なんとか逃げ延びたものの、
銃撃戦で深手を負った女房は隠れ家に着く前に息絶える。ここで取り乱さないのがチャーリーの強さだ。
哀しみを表に出さず、警察の目をくらませるための行動に移る。常に沈着冷静だ。ハーマンの血まみれ死体を見たときでさえ、無表情に「自業自得だ」と呟く。
無慈悲とも思えるこの言葉には自分自身に向けられたような響きがあった。悪党の末路はこんなものか、自分もいずれは…。女房と相棒を失っても涙を見せないからといって、チャーリーは非情な男ではない。ユーモアに富んだ人間臭い男だ。マッソーがジャック・レモンと共演した傑作コメディ「おかしな二人」や「フロント・ページ」で見せたとぼけた味わいにチャーリーの魅力がある。それが堪能できたのは、頭取と会う段取りをつけた後の秘書との絡みだ。
 ラブホテルみたいな円形のベッドに目を止めてチャーリーが言う。
「丸いベッドに寝たことないんだ。一番いい方角は?」
「気分次第よ」
「磁石は要らないか」
 この後、二人はベッドインして何度もセックスしたらしく、チャーリーに「もう寝ろ」と言われた秘書が「これで最後?南南西の方角がまだよ」。なかなか傑作なキャラクターで、「私が言うのもなんだけど、あの人は信用できないわ」と忠告するぐらいだから、頭取の裏の顔を知っているのは確かだ。それなのにチャーリーと関係を持った。男顔負けの度胸と言うべきか。可愛いところもあって、「死なないで」とチャーリーの身を案じる。普通ならしんみりした雰囲気になる場面だが、チャーリーが「なるべくな」と答えるので爆笑した。
 チャーリー・バリックという人物のユニークな個性とシーゲル監督のアクション演出の冴え(小型飛行機を車が追うクライマックスシーンがスリリング)が相まって見応え十分、ニコニコしながら劇場を出たものだ。

■グロリア・スウェンソン/1980年「グロリア」

 ニューヨーク・インディーズ派の監督でもあった俳優、ジョン・カサヴェテスが手掛けた唯一の娯楽作の主人公で、
愛妻ジーナ・ローランズの大姉御的な魅力を存分に引き出していた。一般受けしない映画ばかり撮っていたカサヴェテスは、
その気になれば娯楽映画を撮れるのだということを証明するために「グロリア」を撮ったと語っていた。ビル・コンティ作曲のむせび泣くようなテーマ音楽に乗って、ニューヨークの夜景を空から移動撮影していく魅惑のファーストシーンに始まり、マフィアに狙われている6歳の少年を連れたグロリアの逃走劇を快調に描く手腕はお見事! これでベネチア国際映画祭金獅子賞を獲得した。一本だけと言わず、時たまこういう映画を撮ってくれないかなぁと思っていたのだが、その願いが叶わなかったのは本当に残念だ。
 グロリアがマフィアに追われる羽目に陥ったのは、最悪のタイミングで仲のいいジェリを訪ねたからだった。ジェリの夫は組織の会計係で、
お金を横領したばかりか情報をFBIにたれ込んだ。それがバレて組織の手が間近に迫っているという。間違いなく私たちは殺される。せめて子供だけは助けたい。グロリアは子供嫌いなのだが、ジェリの必死の頼みを断れなかった。父親は組織の情報を書き込んだ手帳を息子のフィルに託す。万が一のときは役に立つと考えたのだろうが、むしろ危険を増大させることになった。裏切者の一家を惨殺したマフィアは、ひとり生き延びたフィルと手帳を求めて執拗に追ってくる。
 グロリアは堅気の女ではない。犯罪歴があり、ボスの情婦だったこともある。マフィアの怖さは誰よりもよく知っている。それに、預かってはみたものの、
やはり子供は苦手だ。だから、一度は追い払おうとした。しかし、体にしがみつくフィルともみあっているところを発見されてしまう。「グロリア、お前に用はない。
欲しいのはガキと手帳だ」と言われても、さすがにスンナリ引き渡す気にはなれない。男の仕種に危険を察知したグロリアは、いち早く銃を取り出して撃つ。やってしまった。もう後へは引けない。グロリアは逃げる。警察には行けない。ニューヨークのあらゆる場所にマフィアの目が光る中で孤立無援。頼れるのは己の才覚と度胸のみ。グロリアは「女を殺したんじゃ後味が悪い」と躊躇する男たちの先手を打つ「殺られる前に殺る」作戦で危機を乗り切っていく。レストランで数人の男を発見したときは自分から近付き、銃を突き付けて手帳を見せながら挑発する。
「これが欲しいんだろ。命が惜しけりゃ取引しよう」
「取引だと?返事はできん。タンジーニさんと相談を」
「ボスと相談?馬鹿揃いだね。あの子は私の手にある。家族殺しの生き証人よ。弾を抜いてバッグに。早く入れる!」
 地下鉄の車内で男が迫ってきたときも先手必勝だった。グロリアはいきなり男を張り倒す。カッとした男がグロリアを殴り飛ばす。驚いた乗客たちがグロリアを助け起こし、男を取り押さえる。この機に乗じてグロリアが銃を構え、「上等だ。おいで」と手招きする。男が怒りの形相でグロリアを睨む。電車が駅に着く。グロリアは後ずさりしながら電車を降り、なおも男をからかう。
「女に殴られて平気なの?腑抜け!チンピラ。消えろ!」
 そしてドアが閉まると同時に走り出す。ホレボレするカッコよさだった。なんとも男っぽいのだが、いつもおしゃれに気を配る女っぽさも素敵だ。大急ぎで家を出たのでバッグには数着の服しか入っていない。それでも上下を着回しして変化を付け、ホテルの浴室で服に蒸気を当てて皺を伸ばす。逃げるのに好都合なのにペタンコ靴は履かい。いつもハイヒールだ。そんなグロリアが次第に母性愛に目覚めていく姿が的確に描写されていて、最後はホロリとさせられる。グロリア・スウェンソン。これまでに映画で出会った最高にいい女である。

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【Candid Review】
■■写真の重箱 4 ――続 カメラのハナシ■■志子田薫

 皆様こんにちは。写真、撮ってますか? そして写真を見てますか?
 私はやっと少し肩の力が抜けたようで、以前ほどではないにせよ写真を撮ることが増えており、先日は久々に現像所へ顔を出して数本フィルムを現像して来ました。同時進行でデジタルカメラでも撮影をしているのですが、この二者をまとめるのか、それとも別個のプロジェクトにして行くのかは未だ見えていないのがネックです。

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 既に終わってしまった展示ですが、10月2日から7日の間[Roonee 247 fine arts]にて写真家 飯田鉄さんの『RECORDARE』という個展が開催されました。これは同名の自費出版写真集の発売記念的な意味合いもありました。
 飯田鉄さんは都市環境や庶民生活を被写体とし、写真集『街区の眺め』や寺田侑氏の詩とともに綴られた『まちの呼吸』、そして過去の写真展で昭和の残り香や都市の変遷を写真に封じ込めてきました。
 しかし今回は導入部こそ前出の流れを汲んだ建築写真が並ぶものの、その先は一見すると今までとはちょっと違う写真が並びます。自然が奏でる空気感や、
人間若しくは自然が生み出した造形美を追い求め、むしろ「レンズ汎神論」や「使うライカレンズ」などの作例写真で垣間見られたような世界が広がっていました。
デビュー当時の飯田さんをご存知な方は「彼が好き好んで撮っていたのはこんな感じだった」と仰っていましたし、ギャラリートークのゲストとして招かれた河野和典さん(元『日本カメラ』編集長で『レンズ汎神論』でもタッグを組み、現在は日本写真協会『日本写真年間』編集委員などを務める)からも「作家の目は一貫している」という言葉が。当の飯田さんも「こういうのがずっと好きなんです」と仰っていました。

 今回の作品が撮られたのはここ数年、2006年から今年4月までの写真。それもデジタルカメラで撮られた写真ばかりとの事。中には昨年のギャラリーニエプスでの個展「草のオルガン」で私が気に入った作品も展示されていました。

 飯田さんはカメラやレンズの作例写真家としても著名ですが、ギャラリートークでもその話が出てきました。前述の河野さんも飯田さんのことを『多岐に渡る(カメラやレンズ、アクセサリ類などの)機材への造詣が深く、その上で機材を活かす作例写真が撮れる数少ない写真家』だと太鼓判。
 もちろんその為には膨大な量の撮影で培われた経験、そして機材やフィルムなどの知識との組み合わせから導き出される勘、そして想像力をフル回転させて(何しろフィルムは現像するまで結果が判りませんから!)一つ一つの作例を作り上げていったのでしょう。
 私はそんなノウハウの一端を直接吸収できた、飯田さんが教鞭をとられていた学校の生徒さんたちが羨ましく思えましたし、会場に来ていた学生さんやOBOGの楽しそうな顔を見て、更にその気持ちが強まりました。

 写真展は終了してしまいましたが、写真集『RECORDARE』は引き続きRoonee 247 Fine Artsで取り扱っているので、興味のある方は是非お手にとって見てください(表紙が赤と青の2種類で各150部、計300部限定)。
 表紙を開くと奥付(書籍の最後の方にある出版社や著者の情報が記載された「奥に付ける」頁)から始まるという不思議な装丁です。まるで現在から記憶を順に辿って行くような感覚で(実際には写真は時系列ではないのですが)ページを捲る楽しさがあります。

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 さて、前回のメルマガの締めに、『写真家の方々は実際にどういったカメラを使って、どのような写真を生み出してきたのか。この辺に関して次回触れていきたい』と大風呂敷を広げてしまいましたが、これに関しては、一種パンドラの箱的なモノでして、しかもデジタルカメラに至っては昔以上にメーカーの思惑が見え隠れしているので、写真家個人が独断選んでいるかは微妙なところです。
 例えば、前出の飯田鉄さんは、趣味と仕事の両面で多岐に渡るメーカーの様々なカメラやレンズを使っています。
レンジファインダーカメラだけでなく、一眼レフ、ミラーレス等を巧みに操る飯田さん。
でもとりわけ、私にとって飯田さんはニコンにフジ、そしてライカを使っている印象が強いですね。
しかもライカは初期のA型から最新のデジタル系まで、その時の仕事や作品作りに合わせて文字通り「使い分け」をされています。
 実は以前、私は飯田さんの「東京近郊の街を歩く」ワークショップに参加しておりました。そこでは、M型ライカをスッと構える所作や、ライカTL(当時はライカT)のタッチパネルタイプの(スマートフォンのようなフリックやピンチ、ズーム操作をする)液晶画面を、「苦手なんだよな」と言いながら、おっかなびっくり触っていたのが印象に残っています。

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 高梨豊さんは、沢山のフォーマット、そしてカメラの特性を生かして写真を撮っている、様々なカメラを使い分ける達人です。
 高梨さんは『ライカな眼』という本を出されている通り、普段はライカを使っていますし、秋山祐徳太子さんと故 赤瀬川原平さんの3人で“ライカ同盟”の名の下で活動されていましたので、そちらで高梨さんをご存知の方も多いのではないでしょうか。
 でも、高梨さんも決してライカ一辺倒ではなく、様々なカメラ、そしてフォーマットを使い分けています。もともと商業カメラマンという立場でもありますから、コマーシャルスタジオなどで使われていた蛇腹のフィルムカメラ、4×5や8×10は勿論、6×7や645などの中判フィルムカメラ、そしてもちろんライカなどの35ミリフィルムカメラを使うのですが、彼の場合、作品のコンセプトによってそのフォーマットをセレクトしているのが特徴です。

 1977年に出版された『町』という大判写真集(43.5×30cm)では、前作『都市へ』が35ミリフィルムのレンジファインダーカメラ、ニコンのS型やライカなどでのスナップ撮影でフットワークの軽さが中心だったのに対して、三脚に4×5のビューカメラを取り付けた状態で町を歩き、ワンカットワンカットを丁寧に、その事物を記録しているのが写真から伝わってきます。
 私も数年前に高梨さんを真似て同じようなスタイルで撮影したことがありますが、カメラ自体の重さはもちろん、それを支えられる三脚もしっかりしたものになりますし、道具も大掛かりになります。1カットを撮る際のお作法も35ミリカメラやデジタルカメラとは比べ物になりませんし、何より目立ちます。私は「不動産の人?」と訝しげられました(苦笑)
 でもそれで撮った写真は細部まで情報量のあるものになります。
 写真を「記録」として考えるのであれば、この情報量がとても重要になりますが、4×5に三脚ではフットワークが悪くなってしまいます。以前鎌田さんとのメール対談でも出てきた『都の貌』は、先ほどの『町』の後に出版されていますが、この作品は、夜の街中や室内の僅かな光で対象物をシャープに捉える必要もありつつ、フットワークを軽くする必要もあったため、35でも4×5でもなく、中判の6×7(マキナ67とW67)に三脚の組み合わせに変わります。
 現在同じようなアプローチをデジタルカメラで行うのであれば、5000万~1億画素以上を持っている中判デジタルやシグマのsd Quattroなどを三脚に据えて撮る感じでしょうね。

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 さて、今号では飯田鉄、高梨豊という「ライカ使い」な二人をピックアップして見ましたが、ライカといえば古今東西数多くの写真家の方々が使っていますし、カメラやフォーマットを広げれば様々なアプローチをしている方々がいらっしゃいますから、次回はもう少し突っ込んだ話を書いていきましょう。

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【Marginal Review】
■■デザインと言葉 4■■鎌田正志

白黒映画の中の女優たち――日芸出身の木暮実千代

三島由紀夫の小説《金閣寺》を元に1958年に市川崑によって映画化された《炎上》で、市川雷蔵はその演技派としての能力を高く評価されたそうですが、その3年ほど前の溝口健二の《新・平家物語》でも、市川は自らの出生を呪いながらも、平家一門の首領たらんとする若い平清盛の葛藤を好演しています。

その清盛の母、泰子を演じているのが木暮実千代でした。時代考証の忠実さにこだわる溝口ですが、木暮演じる泰子の胸の大きく開いた衣装は、どうも見ても平安の女官の衣装とは考えにくい。あまりにも挑発的。官能的すぎます。けれどその衣装によって白川天皇の寵愛した白拍子、祇園女御という《妖艶なる悪女》としての《母》を、木暮は濃密に体現したとも言えそうです。

同じく溝口健二の《祇園囃子》では祇園の女の裏と表を哀しくも美しく演じているし、また《赤線地帯》では、身を売ることで夫と子どもを支える年増な娼婦の役を、これまた鮮やかに演じきっています。
溝口健二が描こうとする《女》像を、はたして木暮はどのように感じながら演じていたか想像することもできませんが、それでもまさに「女とはそういった存在」
なんじゃないか、と思わせることのできる演技力、表現力には感嘆せざるをえません。《祇園囃子》の制作について、のちに監督の溝口健二も脚本の依田義賢も、
割合簡単に、力を入れずに作ったようなことを何かの本で語っていましたが、芸妓を演じる木暮の所作、着物の衣擦れの音、路地裏に響く街のざわめき、祇園の華やかな表の顔と、それを支える置屋と客の裏での駆け引き、それらに翻弄される舞妓、芸妓らの確執と苦悩を京都の情感をたっぷりと染込ませながら、それでいて夜の女たちが追い込まれている非道な世界をクールに描いていて、なかなかの秀作でありました。

ところで山田五十鈴はもっと過激でした。(次号へ続く)

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■■編集後記■■

■4号、再配信です。松村さんのCinemas Reviewが目次だけで本文が脱落しておりました。ご本人から連絡があり気がつくというていたらく。重ね重ね申し訳ありません。仕事も体調も言い訳になりません。定期刊行物を発行するということの真剣さが足りなかったと反省しております。以下は再配信前の編集後記です(謝ってばかりですね)。
大変遅くなってしまいましたが4号を配信します。先月(10月)に引き続き言い訳ですが、本業の方がなかなか厳しい状況で、今後どうするかあれこれ試行錯誤しているうちに、気がつけば月末。早くから原稿を送っていただいていた執筆者の方々には大変申し訳なく、ともかく月内にと思いつつ、ちょっとオーバーしてしまいました。来月は心を入れ替えて…。(T)

■前号のタイトル部分で「第3号」とすべきところを校正ミスで「第2号」のまま配信してしまいました。大変失礼いたしました。そして今回もドタバタありましたが、なんとか4号まで辿り着きました。初っ端に『Provoke』ネタを書いたメルマガが、3号で終わってしまってはシャレにもなりませんからね。果たして5号は年内に出せるのでしょうか……(K)


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