メルマガ屋ケンちゃん

メルマガ屋ケンちゃん

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宮脇健さん

宮脇さんと言えば、「ケンちゃんシリーズ」で国民的人気を誇られましたが、人気絶頂時のびっくりするようなエピソードを教えてくださいますか?

記憶の中に大きく残っているのが、毎年届く年賀状の数ですね。当時僕はプロダクションに所属していなかったので、自宅住所が公表されていたんです。そんなわけで、普通のお宅には郵便局員の方が自転車で配っていた年賀状ですが、僕の家には毎年郵便局の赤いトラックで運ばれてきてました。多い年で10万~15万通です!どれくらいの量かと言いますと、みかん箱に入れて、四畳半の部屋がすっぽりうまるくらいの量です。

僕の年賀状は、スタジオで撮った写真を10万通くらい印刷するんですが、当然ながら宛て名は一枚一枚違うじゃないですか。当時はパソコンやワープロなんてないですから、すべて手書きです。父が帝京高校の先生をやっていたので、そこの生徒さんをアルバイトで雇ってました。1枚5円か10円くらいだったかなー。

当時はいろんな所へロケに行ったんですが、北海道のある地区を訪れた時のことです。市役所へご挨拶に行ったんですが、入り口に大きなクマの剥製があったんですよ。それ見て僕は市長さんに「おじちゃん、このクマ欲しい!」って言ったんですよ(笑)。その場で市長さんは「ケンちゃん、これは無理だよ、役所の備品だから」って(笑)。

そんなことがあってロケが終わって東京に帰ってひと月くらいしたころに、別のクマの剥製が届いたんです。市長さんの心遣いで(笑)。当時の金額で50万~60万ほどと聞きましたから、今だと200万~300万くらいはするんじゃないですか。自宅の洋間に飾ったんですが、大きすぎて困りました(笑)。

中学生くらいになって運転手がついたんですが、急にアメ車がほしくなった(笑)。で、運転手さんと車屋さんに行ったんです。その中で目にとまったのが、マスタングのマッハ1という車で、中古でも260万はしたかと思います。すぐ欲しくなった私は、営業マンに「おじちゃん、これちょうだい」って(笑)。ところが相手は、ケンちゃんを知らなかったらしく「ボク、これはおもちゃじゃないよ、お母さん連れてきてね」なんて言うんです。その時、僕の両方のズボンのポケットには現金の束が300万ありました。それ見せて「おじちゃん、これで買えますか?」って言ったら態度が急変、その日のうちに仮ナンバーをつけて家に持って帰ったという(笑)。

当時、辛かった思い出や傷ついたエピソードなどはありますか?

僕がまだ9~10歳くらいのことに、父親にある詐欺師が近付いたことがありました。芸能プロダクション設立の話を持ちかけて、当時の金額で1000万円以上やられた、ということがあったことを覚えてます。

中学校時代はテレビ撮影が忙しくて、友達から仲間はずれにされたりと、いじめられっ子でした。またその頃、私服警官がついて通学していた時期もありましたね。

あと、これは笑い話ですが…、ある地方に、スタッフと5~6人でサイン会に行って、一日で1000枚以上サインしたんですが、手は疲れるしもうクタクタになったことがありました。そんな状態で旅館に帰ったら、市長さんから「何か要望があったら、何でも遠慮なしに言ってください」という電話が入ったんです。そう聞いた僕は、「疲れたから寝たいです」と言おうとしたら、スタッフが僕のおしりをつねるんです。「キャバレーに行きたいって言え!」って脅すんですよ(笑)。仕方なく「市長さん、キャバレー行きたいです」っていうと、「え? ケンちゃんがキャバレー!?」なんてびっくりしてました(笑)。まあ、スタッフもやりたい放題という感じですね。

その当時の自分に、何か言いたいことはありますか?

「ケンちゃんシリーズ」は平均視聴率が20%!本当に全国の皆さんに愛された番組を、10年間で10シリーズ、本当によく頑張りましたね!

先輩俳優さんとのエピソードなどはありますか?

「ケンちゃんシリーズ」を撮影していた隣のスタジオで、「太陽にほえろ!」の撮影をしていたんですが、一人で壁キャッチボールしていたら、石原裕次郎さんが声を掛けてくださったことがあります。大きなキャンピングカーで来られていたんですが、「ケン坊、ケン坊、おじちゃんのバスに乗りたいか?」って、乗せてくれたんです。

裕次郎さんはとてもビールが好きな方だったので、冷蔵庫にたくさん冷えてるんですが…。「ケン坊に飲ますジュースは詰んでたかなぁ」と冷蔵庫を開けた裕次郎さんは、1本の缶ビールを取り出しました。「ケン坊、おじちゃんと一緒のジュースを飲もう。泡の出るジュースだ」って(笑)。そんなわけで、小学校3年生の時に裕次郎さんと泡の出るジュースをご一緒しました(笑)。

「ケンちゃんシリーズ」卒業後、かなりのご苦労をされたと伺っていますが、一番つらかったご経験と、その逆境から立ち直ることができた“秘訣”などありましたら教えてください。

小さい頃から芸能界一本で生活してきたため、世間知らずなところがありまして。おまけによく他人から「人が良すぎる」と言われるほどのお人よしなんですね。そんなところを狙われたのか、人の連帯保証人になってしまい、1億8千万円の大借金を背負ってしまったことが一番辛かった経験でしょうか。でも、5年前に完済することができました!

どんな時も「超ウルトラどプラス思考!」「やるぞ!できるぞ!大丈夫だ!GO!やったぜベイビー!」的な考えを持てば、大概の逆境から立ち直ることはできます。

今、どんな時に一番幸せを感じますか?

現在、中学2年の息子と小学1年の娘がいます。二人の子どもたちの成長していく姿を見るのが何より幸せです。彼らには好きなことを一生懸命頑張ってほしいと心から願っています。

そんな宮脇さんが、今回どうしてメルマガを?

長年おつきあいがあるIT会社の社長さんに「まぐまぐ!」をご紹介していただいた、というのが表向きの理由です。もう一つの理由は…、正直、妻には秘密のヘソクリ作りのためかな(笑)。

それはともかくとして幅広い年齢層の方々に読んでもらいたいと思っています。でも一番読んでほしいのは、同世代の人かな。

宮脇健さん

最後に、読者の方にメッセージをお願いします。

私は現在、レギュラーのラジオ番組を持たせていただきながら、会社の仕事関係で出張も多く、日本全国津々浦々、飛び回る日々を送っています。

そういうわけで、芸能界のウラ話だけではなく、旅&グルメ情報や旅先での人との出会いや感動したことなどなど、ジャンルにとらわれることなくいろいろなことを書いていきたいと思っていますので、応援よろしくお願いします!

もちろん、読者の方からの質問には可能な限り答えていきたいと思っていますので、どしどしお寄せください!50歳になったケンちゃんでした(笑)。

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宮脇健さんプロフィール

1961年東京生まれ。子役時代はテレビドラマ「ケンちゃんシリーズ」の主演を10年に渡り務め、国民的人気を得る。一方、実生活では家庭崩壊、多額の借金、現国会議員の三原順子氏との熱愛・破局報道など、まさに波乱万丈。現在は複数の会社の役員を務めつつ、講演活動などで全国を回る傍ら、芸能活動も行っている。

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