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廃業したパチンコ店が市民の交流拠点に?京都福知山で見た地域活性化の大成功事例=吉村智樹

ああ、ここもさびれてるなぁ」。旅先で降りた駅の周辺が閑散としていて、胸が痛くなる経験がよくある。名のある中核都市でさえ、かつては栄えていたのであろう大きな商店街がシャッター通り化し、人の往来はまばら。若者の姿は見当たらず、からっ風だけが吹き抜ける。高齢化・少子化・人口流出など、さまざまな原因が街をさびれさせているのだ。

街の衰えが問題視される昨今、閉業したパチンコ店を市民の交流拠点として蘇らせ、街の活性化に成功した稀有な例がある。しかも外観は「ほぼパチンコ店のまんま」だというから驚く。若者をはじめさまざまな世代を呼び寄せ、復活からわずか1年で7,800万円を売り上げる「確変」を巻き起こした旧パチンコ店を筆者は訪ねた。

プロフィール:吉村智樹(よしむら ともき)
ライター・放送作家。「大阪アニメ・声優&eスポーツ専門学校」講師。京都在住。関西を中心に中小企業、個人経営店、職人を取材し、「街の経済」を視点とした記事をWebメディアに書いている。テレビ番組『LIFE夢のカタチ』(朝日放送)構成。Yahoo!ニュースにて「京都の人と街」を連載。近著に『ジワジワ来る関西』(扶桑社)がある。

京都府内3番目に大きな市でも人口減少は免れない現実

京都府の北部に位置する福知山。府内で3番目に大きな市だ。福知山は明智光秀が築いた城下町として知られる観光圏であり、JR山陰線や福知山線・WILLER TRAINS(京都丹後鉄道)が乗り入れる、都心と日本海沿岸部をつなぐターミナルでもある。

そんな重要な都市でありながら、福知山も例に漏れず、住む人が減り続けている。総務省の調査によると2000年には8万3,120人だった人口が、2020年には7万7,306人。一貫して減少し続けており、このままでは2040年には6万人台へ割り込むと予想されている。

データだけを見れば衰退の一途を辿っている福知山。しかし、駅を降りた筆者の印象は違った。福知山駅の北口から伸びる「福知山駅正面通り商店街」を歩き、時代がチェンジするような息吹を感じたのだ。

パチンコ台が無人販売所に変身

商店街を入ってすぐの場所に、どう見てもパチンコ店としか思えない建物がある。その名も「銀鈴(ぎんれい)ビル」。いかにも昭和なデザインの、射幸心をあおる懐かしい外観だ。銀弾が鈴鳴りに湧き出るめでたい名前で、オールドパチンコファンなら右手がうずいて仕方がないであろう。

image by:吉村智樹

一見パチンコ店なのだが、実は……image by:吉村智樹

ところが! 館内に足を踏み入れると、そこには未知なる光景が広がっていた。かつてパチンコ台が設置されていた通称「シマ」は往時の面影を残したまま、米・野菜・フルーツ・ジビエ加工品など、ご当地産商品の無人販売所へと大胆に変身しているではないか。

パチンコ店の内装はそのままに、ホールが野菜などの無人販売所に変身 image by:福知山フロント株式会社

パチンコ店の内装はそのままに、ホールが野菜などの無人販売所に変身 image by:福知山フロント株式会社

パチンコ台があった場所は商品の陳列棚に image by:福知山フロント株式会社

パチンコ台があった場所は商品の陳列棚に image by:福知山フロント株式会社

さらに、カウンターがあった場所ではカヌレが焼かれ、ほかにも、たこ焼き・ビューティサロン・ラーメン・コリアングルメ・エステ・スマホ販売とパソコン教室・おしゃれなレンタルスペースなどが明確な仕切りなく並んでいる。しかも、内装はパチンコ店特有の大きな照明やキラキラとした意匠をそのまま残しているのだから驚異だ。

こちらはパチンコ台があった場所が掲示板にimage by:福知山フロント株式会社

こちらはパチンコ台があった場所が掲示板にimage by:福知山フロント株式会社

店内でたこ焼きやビールなどが味わえるimage by:福知山フロント株式会社

店内でたこ焼きやビールなどが味わえるimage by:福知山フロント株式会社

廃パチンコ店をリノベーションした事例は全国にあるだろう。しかし、柱、鏡張りの天井など、ここまで外観や室内装飾に手を加えないままのテナントミックスは極めて珍しい。

「パチンコ店の要素を残しているのには、二つの大きな理由があります。一つ目は、かつて福知山の人たちがここでパチンコを楽しんだのだという、熱気や活気を記録として残しておきたかったから。パチンコ屋さんだった過去を否定したくなかったんです。もう一つは、全面改装する予算がなかった(苦笑)」

福知山で生まれ育ち、銀鈴ビル復活に尽力した「福知山フロント株式会社」代表取締役、杉本潤明さんはそう語る。

パチンコ店の意匠をそのまま残しているのは「パチンコ屋さんだった過去を否定したくなかったから」と語る福知山フロント株式会社の杉本潤明さん image by:吉村智樹

パチンコ店の意匠をそのまま残しているのは「パチンコ屋さんだった過去を否定したくなかったから」と語る福知山フロント株式会社の杉本潤明さん image by:吉村智樹

さびれゆく商店街を救うべく蜂起した有志たち

福知山駅の北口側から伸びる福知山駅正面通り商店街は、300メートルにも及ぶ長大な商圏だ。ピーク時には90もの商店が並び活況を呈していた。

杉本潤明さん(以下、杉本)「僕が小学生だった頃は、とてもにぎわっていた商店街だったんですよ。『さとう』と『ファミリー』という二つの大きな商業施設があり、二つの頭をとって『サーファー通り』と呼ばれていました。中学・高校生の遊び場でね、高校の先生がパチンコ店の見回りをしていたくらいです」

ところが新陳代謝が進まず、次第にシャッターが目立つようになったという。2015年には店舗33、空き店舗26にまで減少し、顧客数や売上は下降していった。

パチンコ店の復活に挑んだ福知山フロント株式会社とは、このように閑古鳥が鳴いていた福知山駅北側を活性化させるために、2015年に設立された民間出資のまちづくり会社だ。8名いるメンバーは皆、それぞれに別の職業に就いている。

福知山フロントは、福知山市から「街の活性化に取り組まないか」と持ちかけられたことをきっかけに発足した。コンサルタントの広瀬今日子さんをはじめ同調者たちが空き店舗調査や生活実態調査を実施し、その結果をもとに「スピード感をもって街を活性化させるためには、商店街組織では限界がある。会社という体制づくりが不可欠だ」と、商店街振興組合の理事長や若手有志らで組織化したのである。

広瀬今日子さん(以下、広瀬)「行政が手をさしのべてきたとき、当時の理事長と専務理事が、『これはラストチャンスや』とおっしゃったのが印象に残っています。私は仕事で各地の商店街活性化事業をしているのですが、福知山の皆さんは『蘇りたい』という熱意がすごかった。歴史がある商店街って、提案しても大御所がなかなか首を縦に振らない場合が多いんです。けれども福知山はベテランが率先して街を変えようとしてくださっている。それで意気投合し、会社の設立に全力を傾けたんです」

さびれた商店街を蘇らせたいという街の人の熱意に感動し、会社化に全力投球した広瀬今日子さん image by:吉村智樹

さびれた商店街を蘇らせたいという街の人の熱意に感動し、会社化に全力投球した広瀬今日子さん image by:吉村智樹

起ちあがった福知山フロントは、2015年から全力で新規誘致に取り組んだ。銀行の跡地をブリュワリーとして蘇らせたり、かわいいデザインケーキの店を招いたりと短期間に14店舗の誘致に成功している。彼らの努力で福知山駅北側は「商売が成り立つエリア」として再び認知されはじめ、次第に元気を取り戻しつつあった。

さらに福知山フロントは京都北部の生産者・料理人とユーザーをつなぐマルシェ「Farmers Tables FUKUCHIYAMA EKIKITA(ファーマーズテーブル 福知山駅北)」の定期開催をスタート。行列ができる人気イベントに成長したのである。このように福知山フロントはエリアの価値を高め、若者への訴求の成果を上げてきたのだ。

マルシェ「ファーマーズテーブル 福知山駅北」を定期開催し、閑散としていた福知山駅前北口に活気を呼び戻した image by:福知山フロント株式会社

マルシェ「ファーマーズテーブル 福知山駅北」を定期開催し、閑散としていた福知山駅前北口に活気を呼び戻した image by:福知山フロント株式会社

ところが……状況は一変する。2020年、ここへきて商店街はパチンコ店「銀鈴会館」という巨星を失うこととなるのだ。

Next: 商店街を明るく照らしていたパチンコ店が無くなった

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