廃業寸前からの快進撃。老舗家具メーカーの社長が変えた職人意識

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今や伝統を愛するシニア層だけではなく、洗練された機能美に魅了された若者たちからも絶大な支持を集める「飛騨産業」の家具ですが、一時は廃業の危機に追い込まれたこともありました。「テレビ東京『カンブリア宮殿』(mine)」は、放送内容を読むだけで分かるようにテキスト化して配信。「木工の里」として古くから愛される飛騨の伝統を守るべく立ち上がった異端児・岡田贊三社長の挑戦と改革の軌跡を紹介します。

座った人が必ず驚く~飛騨の匠が生んだ感動家具

最先端の店が集う東京・六本木の複合施設「東京ミッドタウン」。その中にあるインテリアショップに「座った人たちを驚かせる椅子」があるという。

外見はなんの変哲もない木の椅子だが、人の背中に合わせて背もたれが動くので、誰が座ってもフィットする。別の椅子に座った客は、肘が肘当てにピタッとくるのに驚いている。肘当ての裏の部分は滑らかに削られていた。

座るだけで人の心を動かす明らかに普通とは違う椅子。作っているメーカーはキツツキがトレードマークの飛騨産業だ。

飛騨産業はその名の通り、かつての飛騨の国、岐阜県高山市にある。飛騨高山は日本の5大家具産地の一つ。その町並みにも格子造りなどの木工技術が息づく。祭りを盛り上げる山車にも「木工の里」の証しが。木の色を活かした独特の彫刻、「一位一刀彫り」が祭り客の目を奪う。

「木工の里・飛騨」の起源は飛鳥時代まで遡る。当時の税は穀物などの物納だったが、飛騨はそれを免除され、代わりに職人達が大工仕事にあたった。腕のいい職人たちは「飛騨の匠」と呼ばれ、世界遺産の唐招提寺など、様々な歴史的建造物の建築に一役かった。

その伝統の技を今に受け継ぎ、お客を驚かせる家具を作っているのが飛騨産業というわけだ。創業は1920年。ショールームにはその歴史を刻んできた木工家具が並んでいる。評判を聞きつけ、遠くから来ている客も多い。

飛騨産業を一躍有名にしたのは「穂高」と名付けられたシリーズ。1969年の発売以来、リビングチェアだけで60万脚を売ってきたロングセラー商品だ。木は樹齢150年以上の楢が使われている。

「穂高」のヒットには、『暮らしの手帖』元編集長で、ドラマ『とと姉ちゃん』にも出てきた花森安治さんも関わっていた。いろいろな商品を辛口批評する雑誌の中で「4年間愛用しているが快適」と褒め、話題を呼んだのだ。

その品質の高さから、飛騨産業の家具は皇室御用達に。さらに2016年の伊勢志摩サミットで各国首脳が囲んだ円卓や椅子にも選ばれた。まさに日本を代表する家具なのだ。

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しかし過去には苦しい時代もあった。バブル崩壊で高級家具から客が離れ、イケアやニトリといった量販店の安い家具に人気が集まり飛騨産業は窮地に立たされたのだ。ピーク時には60億円を超えていた売り上げは半分以下まで落ち込み、廃業寸前に追い込まれた。

そんなピンチを救ったのが飛騨産業のトップ岡田贊三(74歳)だった。岡田は地元では有名な凄腕経営者。「とにかくやってみるの精神で岡田は会社を立て直したのだ。社長に就任したのは2000年。それ以前は別の業界にいた門外漢だった。

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