五木寛之が、どう生きるかより「いかに死ぬか」をテーマとする訳

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4月という学業や仕事の節目に一斉に咲き乱れそして花吹雪となって散っていく桜、首が落ちるように花弁ごと落ちる椿。そんな花の姿に人は自分の運命を重ね合わせます。無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、五木寛之氏(作家)と横田南嶺氏(臨済宗円覚寺派管長) との対談を通じ、花のように生きそして散っていく、そんな死生観のあり方を紹介しています。

咲く花があれば、散る花もある

本誌初対談となる五木寛之さんと横田南嶺さん。お二人の話は終始ご縁の深い臨済宗僧侶松原泰道さんとの話を軸に進んでいきました。

五木寛之(作家)×横田南嶺(臨済宗円覚寺派管長)

横田 「いま思い出しても冷や汗が出るんですが(笑)、私は(松原泰道)先生に色紙を差し出して、仏教の教えをひと言で言い表す言葉を書いてくださいとお願いしましてね。

有名人にサインをねだるような感覚だったんですが、先生は快く応じてくださり、この言葉をくださったんです。『花が咲いている/精いっぱい咲いている/私たちも/精いっぱい生きよう』。15歳の少年に向けて、仏教の神髄をここまで平易に表現した言葉はないと思うんです。」

五木 「その言葉は以前、『致知』で拝見して私も大変感動しました。これも実に素晴らしい言葉ですね。

ただ、私のいまの実感はその逆でしてね。松原先生の言葉になぞらえて言うならこうなるんです。

『花が散っていく/精いっぱい散っていく/私たちも/精いっぱい散っていこう』」

横田 「あぁ、精いっぱい散っていこうと」

五木 「まぁ根がひねくれ者ですから、そう考えるというのもあるんですが(笑)。これからは高齢化社会でしょう。日本ではこの先、何百万人という団塊の世代が一斉に75歳以上になり連日嵐のように世を去っていくわけです。

ですから、死というものをどう受け止めそれにどう対処していくか。この問題が、いまの日本人の一番大きな命題だと私は思っているのですが」

横田 「確かにそれは大事な問題だと私も思います」

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