元農水事務次官に息子殺害を選択させた「日本の世間」の恐ろしさ

nakajima20190604
 

社会に大きな衝撃を与えた、元農水事務次官の熊澤英昭容疑者が長男を刺殺したとされる事件。先日掲載の「元農水事務次官『川崎殺傷』引き金、『殺すしかない』書き置きも」等でもお伝えしたとおり、川崎市の20人殺傷事件が一つのトリガーとなって起きてしまった悲劇ですが、熊澤容疑者に「長男殺害」以外の選択肢は残されていなかったのでしょうか。米国在住の作家・冷泉彰彦さんが自身のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』で、その背景を分析・考察しています。

世間の重さと家族、アメリカの場合

元農林水産省事務次官の76歳の男性が、「川崎の20人殺傷事件を知り、長男が人に危害を加えるかもしれないとも思った」という理由で、44歳の長男を刺殺したという事件は、社会に衝撃を与えています。

一部には、早速この容疑者に対する擁護論も出ています。

例えば、被害者は「小学校の運動会の音がうるさい」と腹を立てていたそうで、加害者である父親と口論になっていたという報道があります。そうなると、5月28日に川崎市で発生した小学校の児童ら20人が殺傷された事件と、そのリアクションを受け止めた上で、「小学生に危害を加える危険を解消するために長男の刺殺という凶行に至ったというストーリーが描けるわけです。

そうしたストーリーに乗って、この加害者に対する理解を示す動きも出ているわけです。つまり、川崎の事件で出ていた「自殺するのなら一人で死ねという論調の延長として、「一人で死ねないのなら殺されても仕方がないという論が出ているというわけです。

勿論、賛否両論が出てくるでしょうが、アメリカに住んでいて思うのは、日本における世間というものの重さということです。

この容疑者は、例えばですが警察に相談することはできたはずです。また、練馬区の担当者に相談することもできたでしょう。また、農水省OBというコネを使って、厚労省の然るべき専門の部署を紹介してもらって親子ともに専門家の支援を仰ぐこともできたはずです。

ですが、彼はそうしませんでした。警察、区役所、厚労省などの支援を求めることは、彼の個人のプライドが許さなかった可能性もあります。ですが、仮に彼のプライドが問題だったとして、殺人犯として指弾されることの絶対的な名誉剥奪に比べれば、相談をしたり助けを求めたりすることは可能であったはずです。

では、どうして最悪の事態に至ってしまったのか。2つ可能性が考えられます。1つは、川崎の事件と同様に、「小学生に危害を加えては一家もろとも社会的な制裁を加えられてしまう」と感じて頭が真っ白になって凶行に及んだという可能性です。加齢によって鈍った判断力に加えて、加齢によるパニック症状とでもいうべき状況に立ち至った可能性です。

もう1つは、そうではなく冷静に「家庭内の問題は自分で罪を引き受け、息子を始末する」方が、「結果的に息子が凶行に走って社会から一家が指弾されるよりまし」という計算があった可能性です。

つまり、家の中のことは自分で「始末をつける」方が、息子が小学生に危害を加えて、一家で世間から非難されるより、ダメージコントロールとしては「ベター」であり、さらに言えば「苦しい判断だとして支持してくれる人もいるかもしれない」という感触を持っていたかもしれません。

そのぐらい「世間」というのは恐ろしい存在であり、自分が殺人犯という汚名を着せられることを覚悟するぐらいの「責任感」を見せた方が、気難しく暴力的な「世間」との戦いでは、多少分がいい、そんな感覚です。

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