日本人は、政治家を「先生」と呼び有難がったり、国家試験に合格した官僚の地位を絶対視しすぎる傾向にあるのではないでしょうか。AJCN Inc.代表で公益財団法人モラロジー研究所研究員の山岡鉄秀さんは自身の無料メルマガ『日本の情報・戦略を考えるアメリカ通信』で、その原因を「根拠ないお上信仰」と指摘した上で、「市民が自覚を持って政治家や政策を見極める力を養うべき」と記しています。
日本人よ、お上信仰を捨てて自立せよ!
全世界のアメ通読者の皆様、山岡鉄秀です。
最近、行く先々で多くの方々から声を掛けられて質問を受けます。トピックは様々ですが、できるだけ簡潔にわかりやすくお答えするように努めています。
そしてあることに気づきました。私が政府や与党の対応の問題点を説明すると、皆さんポカンとした顔をして、信じられないという様子なのです。ある初老のご婦人が私に言いました。
「そんな、私にもわかるようなことを、選挙で選ばれた政治家や国家試験に合格した官僚がわからないわけがないですよね?きっと、もっと深い考えがあって、表面上はそう発言しているだけじゃないんですか?」
そこで私が事実(ファクト)ベースでさらに説明しても、「そんなバカな」と信じられないという顔をしています。
こいう反応がものすごく多いです。
つまり、日本人は「お上」を物凄く信頼しているのです。
難しいことは「お上」が考えること。一般庶民は一生懸命働いていればいい。まだまだその傾向が強いような気がします。
もちろん、そう考えない人も多いことは知っています。しかし、一般的に、日本人には無条件に自国政府を信頼し、政治家も官僚も一般人より賢くて、頭のいい人たちが国を治めている(はず)、という漠然とした期待感を抱いている人がまだ多いのも事実ではないでしょうか?
少なくとも、自分のような市井の人間がわかるようなことを政府の人間がわかっていないはずがない、と思い込んでいる、もしくは、信じようとしているように感じます。
それは理屈ではなく、事実でもなく、漠然とした「期待」です。日本人ほど統治機関を信頼している国民も珍しいでしょう。「お上信仰」と言っても過言ではないかもしれません。
たとえば、外務省の対外発信がいかに誤解を呼ぶか、また、英訳されるといかに不適切か、それによってどれだけ海外で酷評されているか具体例を示して説明しても、「そんな馬鹿な、だって外務省こそ専門家のはずじゃないですか?」と言って困惑してしまいます。
まあ、対外発信は実のところ難しいテーマで、まして英語表現の問題となれば無理もありません。いちいちチェックする日本人なんて稀です。
しかし、もっと一般的な問題について解説しても、「まさか、政府の方がわかっていないはずはないですよね?私にもわかることなんですから」とおっしゃる方がとても多い。
では、我々は確実に自分たちより優秀な人を政治家に選んでいるでしょうか?官僚に至っては、難関大学を卒業して、難関国家試験を突破しているのだから、優秀に違いないという、ある種の信仰があります。
しかし、受験勉強に強い人が責任感を持って国民国家の為にいい仕事をするという保証はどこにもありません。
むしろ、与えられた枠組みに自分をはめ込むことに何の抵抗も感じない人が多い可能性があります。そして、巨大な官僚組織に入ってしまえば、組織の論理と倫理に支配されてしまいます。
日本は戦後長いこと、国益を尊重する教育を意図的に避けてきましたから、官僚トップを務める人間が平気で自分のモットーは「面従腹背」と言ってはばからない信じがたい現実が現出してしまいました。
私が言いたいことは、政治家や官僚の能力が国民が期待するほど高くはない、ということではありません。
根拠のない「お上信仰」を捨てて、政治家や官僚を「業務委託先」とみなす発想を持つべきだ、ということを言いたいのです。
我々国民はまさに、政治家や官僚に業務委託をしているのです。
社外に業務委託する企業で、料金を払いながら、業務のクオリティや進行状況をチェックしない企業があるでしょうか?あり得ないと思います。