武田教授が断言。能力主義の今より「昔の日本」が幸せだった理由

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つい最近まで、日本は「一億総中流時代」と呼ばれる「みんな同じ生活」が良いという考え方が普通でした。しかし、いつの間にか欧米の影響を受け、会社は「年功序列」をやめて「能力主義」となり、「仕事ができれば若くても偉い」という考え方が浸透しています。最近の日本は何を選び、何を失ってしまったのでしょうか。中部大学教授の武田邦彦さんは、自身のメルマガ『武田邦彦メールマガジン「テレビが伝えない真実」』の中で、かつての日本人が持っていた「みんな同じ」の時代を振り返りながら、人間の「本当の幸せ」について考察しています。

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「人間の幸福」とは一体何なのか? 日本と他国の違いからわかる理由

さて、人間が幸福になるというのはどういう状態でしょうか? まずは普通に生きていけるだけの衣食住が整っていることで、これは時代によって違います。昔は6軒ほどの長屋で、玄関がなく、障子をがらりと開ければ、そこにわらじを脱ぐ土間があり、土間を上がると6畳ほどの居間と小さな台所、それに小さい箪笥とちゃぶ台というところでしょうか。夜になると内職の道具を片づけて布団を敷き、そこで寝るという感じです。

もちろんテレビも洗濯機もないのですが、「普通の生活」がそうであれば、人間はそれで十分に幸福なのです。生活としては大きな屋敷と家扶や下女がいる生活もあるのですが、それにはそれなりの苦労もあり、「生活の豊かさ」は違うのですが、「人生の幸福度」はほとんど同じだったのです。

それでは日本人は何が幸福であるかと考えたかというと、それは「自分なりの人生を送ることができる」ということでした。日本には「職業分類」があっただけです。それが日本では最初から社会の基本構造になっていました。わかりやすく言うと「支配層が支配する日本列島」ではなく、「日本列島には同じ日本人が住んでいる。職業分類はある」ということだったのです。

つまり、人間にとってもっとも大切なことは、「金持ち、仕事の大きさ、階級」などではなく、「自分に与えられた範囲で、日本人に貢献でき、できるだけ自分に合っていて満足できるものを自分で選ぶことができる」という「他人に支配されない人生」と考えたのです。そこで、日本以外の他の国が「支配層」を作り、「支配層」が支配される人を統治するという骨組みを作ったのですが、日本だけは「支配層のいない社会」を形成したのです。

支配層がいなければ、

  1. 自分に与えられた範囲で、
  2. 日本社会に貢献し、
  3. 自分に合っている仕事や生活を自分で選ぶことができる、

ということになります。「日本社会に貢献する」ことが必要だったかというと、自分はお米も食べるし、味噌もいる。でも自分が大工という場合、大工もして稲も育てるというのはなかなかむつかしいので、分業を社会の前提とするということです。

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