石原慎太郎氏が意識的に使用し政治問題化した例など、時折起こる「支那」という呼称に関する議論。呼称の正当性を議論するのではなく、その呼び方を避けるようになった歴史的な経緯を伝えるのは、メルマガ『NEWSを疑え!』を主宰する軍事アナリストの小川和久さんです。小川さんは、好き嫌いがあったとしても、相手が嫌う言葉を使わないのが大人の態度であると、主義主張の前に尊重すべきものがあると述べています。
「支那」という呼び方について
日本の戦後史を調べていて、「支那の呼称を避けることに関する件」という項目を発見しました。
支那という言葉については、中国と台湾が嫌っており、それを承知で石原慎太郎さんなどは「どこがどう悪いのか」と反論し、意識的に使うなど、政治問題化しやすい面もあります。
ここでは、支那という言葉の正当性などを論じるのではなく、戦前戦後を通じて、どんな経緯があったのかを少し勉強してみたいと思います。
日本の敗戦から1年も経たない1946(昭和21)年6月13日、外務省はさきほどの「支那の呼称を避けることに関する件」という通達を全官庁宛に出し、新聞・放送・雑誌など報道機関にも「中華民国の呼称に関する件」を公告しました。
これは、戦勝国となった中華民国の蒋介石総統が「今後は我が国を中華民国と呼び、略称は中国とするよう」と主張したことを受けたものです。このあと、日本政府は学術的な論争の有無にかかわらず、「理屈抜き」に、中華民国側が嫌がる文字や呼称を公式、非公式を問わず、使わないことにしたのです。
もともと支那という言葉は中国語には存在しなかったようで、既に日中戦争の頃には、蒋介石は「日本人は中国を支那と呼んでいる。この支那とはどういう意味であろうか。これは死にかかった人間の意である」と述べています。中国を見下すために日本側が造語したという認識です。中国側には、支那という言葉には中国に対する侮蔑の意味があると受け取る向きが少なくなかったようです。
その一方、戦前の日本にも支那という言葉を使わないでいく方向が生まれていました。1930年代になると日本政府の公文書は「中華民国」という国名を使うようになり、その後、南京政府(汪兆銘政権)の要請を受けて、日本政府は支那という呼称をやめていくことを約束したようです。
このように、既に戦前の段階でも支那という言葉が死語になりつつあった訳で、いま支那という言葉を意識的に使うのは、中国嫌いということを自ら表明している面があるのです。
中国を好きか嫌いかはともかく、相手が嫌う言葉を使わないというのは、日本が一流の国として大人の態度を示せるかどうか、その点を評価するポイントになることは知っておきたいものです。(小川和久)
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