「最期は日本人として死にたい」日本国籍を奪われた台湾人の深い悲しみ

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日本の統治を経験した台湾の人々の我が国に対する思いと「日本人」としての誇りは、私たちが思うより遥かに強いもののようです。今回のメルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』では台湾出身の評論家・黄文雄さんが、第2次世界大戦後に日本国籍を失ったことを不当だとして3名の台湾人男性が起こした訴訟を取り上げ、彼らにこのような声を上げさせた「深い思い」を紹介。さらに我々に対して、「日本人として死にたい」という台湾人が多くいる事実を知ってほしいとの訴えを記しています。

※本記事は有料メルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』2021年10月13日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール:黄文雄こう・ぶんゆう
1938年、台湾生まれ。1964年来日。早稲田大学商学部卒業、明治大学大学院修士課程修了。『中国の没落』(台湾・前衛出版社)が大反響を呼び、評論家活動へ。著書に17万部のベストセラーとなった『日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまで違うのか』(徳間書店)など多数。

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「台湾に日本国籍復帰願う人がたくさんいる」 国籍確認訴訟結審

かつて日本人として、日本のために働き、戦った3人の台湾人男性が、戦後に日本国籍を喪失したことは不当だとして、日本国籍があることの確認を求めた訴訟での口頭弁論が10月12日に東京地裁で開かれました。

原告は、楊馥成(ようふくせい)さん(99歳)、許華杞(きょかき)さん(89歳)、林余立(りんよりつ)さん(94歳)の3人。楊さんは軍属として食料確保に従事され、また、林さんは日本海軍の航空廠工員や整備兵として活躍されたそうです。また、許さんは終戦時は小学生だったということです。現在、「台湾人日本国籍確認支援の会」という団体が、3人の訴訟を支援しており、御三方の経歴やプロフィールが掲載されています。

台湾人日本国籍確認請求事件を支援する会(通称;台湾人日本国籍確認支援の会)

とくに楊さんは、このメルマガでも何度か紹介している、甲子園大会に出場して準優勝を果たした嘉義農林学校(現在の国立嘉義大学)のご出身だそうです。嘉義農林の活躍を描いた永瀬正敏氏主演の映画『KANO 1931 海の向こうの甲子園』は、日本でも有名ですね。

戦後の1952年4月にサンフランシスコ平和条約が発効すると、同年8月に日本は蒋介石の中華民国と日華平和条約を結び、これにより台湾系日本人は日本国籍を失ったとされました。しかし、3人は、国連の世界人権宣言が「何人も本人の意思に反して国籍を剥奪されることはない」と規定していることなどを理由に、日本国籍を喪失していないことを確認する訴訟を、2019年10月に起こしたのです。当時は、台湾でもそのことが話題となりました。

3台灣人控告日本政府 要求承認恢復日本籍

そして2021年10月12日に結審となりました。判決は来年2022年1月11日だそうです。

楊さんは、「最期は日本人として死にたい」と言います。そして、帰化ではなく国籍の確認を求めている理由については「台湾で日本がしてきたことを知ってほしい。そうすれば日本を誇りに思えるはず」としています。あくまでも自分は日本人として生きてきたという矜持なのでしょう。台湾に「日本精神」を伝え続けてきたのも、こうした台湾人たちでした。

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