平安時代の官職の不思議。『権大納言』の“権”が意味するものとは?

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前回の記事『「平安」ではなく「不安」しかない。優雅な平安時代を襲った地獄の災難』では平安時代に立て続けにおきた災難について語っていたメルマガ『歴史時代作家 早見俊の「地震が変えた日本史」』。今回は平安時代の官職について紹介しています。

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平安ではない不安な時代 「権大納言」の「権」とは?

大納言、中納言は太政官に置かれた官職です。中納言は従三位の位階が授けられ、三位以上が公卿と呼ばれました。公卿の意味は、大臣が○○公と尊称され、大納言、中納言は○○卿と呼ばれるから併せて公卿というわけです。

ところで、日本史を見ていきますと、「権大納言」(ごんのだいなごん)とか、「権中納言」(ごんのちゅうなごん)という官職がやたらと目につきます。

権というのは定員外という意味です。官職の数は限られていますから、任官できない貴族対策として、朝廷は権を設けました。大納言、中納言以外も、「権少納言」「右近衛権大将」「右近衛権中将」など様々な官職に権を設けました。

時代を経るにつれ、権の官職が一般的になってしまいます。権のない正式な大納言や中納言は空席になってゆきました。

ちなみに、水戸黄門こと徳川光圀は水戸中納言として知られています。中納言の唐名が黄門であることから水戸黄門と呼ばれてきました。その光圀も権中納言でした。

光圀に限らず、江戸時代を通じて武家が受けた朝廷の官職は全て権でした。尾張大納言家、紀伊大納言家も歴代当主は権大納言です。武家に限らず公家も権ばかりでした。

何時の間にか、権が当たり前になってしまったのです。大納言であれば正式な大納言は空席にされ、権大納言ばかりが連なりました。

本来なら定員外ですから例外のはずだったのですが、例外が原則になってしまったのですね。

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