安倍晋三元首相の死を招いたか?祖父・岸信介が二股“両岸”と呼ばれた理由

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統一教会とのただならぬ関係を疑った犯人に撃たれ亡くなったた安倍晋三元首相。教団との縁を紡いだのは祖父の岸信介元首相だったと伝えられています。この岸信介という人物について、「思想や理想、宗教をあてにはしないが利用する」と手厳しく評するのは、評論家の佐高信さん。今回のメルマガ『佐高信の筆刀両断』では、対極に位置する政治家として石橋湛山元首相をあげながら、“両岸”と呼ばれた岸元首相の政治姿勢を紹介しています。

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二股の“両岸”岸信介

安倍晋三の祖父の岸信介が孫の統一教会との縁の出発点である。岸について、私が快哉を叫んだエピソードがある。

岸が首相の時だったかはわからないが、岸恵子が岸が開いたパーティーに招かれてそれを断ったという。そのことを先輩の高峰秀子に話したら、高峰はさらっと、「岸は岸でも向こう岸だものね」と言ったとか。

私は2人の女優に拍手を送ったが、岸信介は基本的には「向こう岸」でも“両岸”と呼ばれていたことを私は学生時代からの友人の岸井成格に教えられた。

『毎日新聞』の主筆も経験した岸井は、2006年に出した私との対談『政治原論』(毎日新聞社)で、岸が社会党(右派)から出ようとしたこともあると言い、その後をこう続けている。
「革新官僚のつながりで言うと三輪寿壮という東大新人会出身の政治家が社会党にいて、これが東大時代、岸の無二の親友なんだよ。うちのおやじ(岸井の父親も東大新人会)なんかも、三輪とはものすごく親しかった。三輪の葬儀で弔辞を述べたのは、確か自民党幹事長時代の岸だよ。彼らの中では、保革の人脈はけっこう入り乱れていたんだ」

しかし、岸と対極の位置に立つ石橋湛山は「思想」を利用できるものとは考えなかった。私は『湛山除名』(岩波現代文庫)を書く時に、岸にも触れた。

作家の伊藤整が「岸信介氏における人間の研究」(『中央公論』1960年8月号)で、国会で岸を観察した印象を書いている。

「その人物の物腰は、私が保守系の政治家にしばしば見ていた人間とは異質のものであった。また社会運動や演説や入獄などの体験などで鍛えられた左派の政治家とも違うものであった。つまりその男には、私たち文士とか学者とか、一般に知識階級人と言われている人間に近いものがあった」

私はこの指摘には全面的には賛成しないが、「人格、信念、思想、理想、宗教などというもののどれをもあてにしない人間」で「知識階級人のいやらしいタイプの1つ」という岸評には同意する。「あてにしない」けれども利用してきた統一教会というカルト宗教を憎む者に孫が撃たれてしまったのである。

ただ、同じ知識階級人でも湛山のように「人格、信念、思想、理想、宗教などというもの」に重きを置く人間も、少ないけれども存在する。そして、湛山やその同志の松村謙三は政治家という公職を私有して息子や孫に後を継がせるようなことはしなかった。

岸について城山三郎は「右翼に腿をさされたくらいで失神して……」と冷笑したことがある。刺した方の荒牧退助は後年、その時のことをこう述懐している。
「殺すつもりだったら殺していたよ。最初から殺すつもりはなかった」

岸は失神して失禁したのだったかもしれない。

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