「みんなで作った宝物」 五輪聖火台、61年ぶり故郷に―埼玉・川口

2019.11.18
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by 時事通信

製造された埼玉県川口市に戻った聖火台。1964年の東京五輪で使われ、旧国立競技場に設置されていた=10月3日、埼玉県川口市

製造された埼玉県川口市に戻った聖火台。1964年の東京五輪で使われ、旧国立競技場に設置されていた=10月3日、埼玉県川口市

 1964年の東京五輪で使用された聖火台が、61年ぶりに製作地である埼玉県川口市に戻った。川口市は「鋳物の街」として知られ、聖火台は地元の鋳物師だった鈴木萬之助さんと三男の文吾さんが心血を注いで完成にこぎ着けた。2人は既に亡くなったが、四男の昭重さん(84)は「おやじの最後の仕事。川口のみんなで一つの宝物を作った」と振り返る。
 聖火台は58年のアジア競技大会用に製作された。高さ2.1メートル、重さ約4トンで納期は3カ月、費用20万円という割に合わない仕事だった。大きな会社は断ったが、当時68歳で既に仕事を引退していた萬之助さんが引き受けた。
 長男に譲った工場ではなく、市内の別の作業場を借りて文吾さんと共に取り組んだ。同年2月15日に聖火台の型が完成。鉄を流し入れる「湯入れ」をしたが、圧力でボルトが外れてしまった。
 失敗のショックで萬之助さんは寝込んでしまった。持病も悪化し、1週間後に亡くなった。病床でも「(型に使用する)ボルトは4分(ぶ)ではなく6分にしろ」と話していたという。昭重さんは「最期まで仕事のことを考えていた。本当の職人だった」と語る。


1964年の東京五輪開会式で点火された聖火台=1964年10月10日、東京・国立競技場

1964年の東京五輪開会式で点火された聖火台=1964年10月10日、東京・国立競技場

 納期は残り1カ月。毎晩、仕事を終えた地元の職人仲間が工場に集まって文吾さんを中心に不眠不休の作業を進め、3月半ばに完成した。
 64年の東京五輪には新しい聖火台を作る話も出た。しかし、当時の担当大臣が「命を賭けて作った聖火台をなんで使わないんだ」と発言。再び使われることになった。開会式の日、仕事で長野県を訪れていた文吾さんはテレビで聖火台を見て、涙を流したという。
 文吾さんは亡くなる08年まで、毎年10月10日ごろに妻と一緒に旧国立競技場を訪れ、聖火台の手入れをした。昭重さんは「毎年磨いていなかったら、ボロボロになっていただろう」と感慨深げに話す。
 聖火台は旧国立競技場の解体に伴い取り外され、東日本大震災で被災した岩手県や福島県などで巡回展示された。10月3日に川口市に戻り、来年3月ごろ新国立競技場に運ばれる予定。(2019/11/18-07:03)

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