「被爆者の苦しみ、二度と」 命の限り核廃絶訴え―原爆孤児の山田さん・広島

2020.08.06
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by 時事通信


被爆者の支援活動を続ける山田寿美子さん=7月22日、広島市

被爆者の支援活動を続ける山田寿美子さん=7月22日、広島市

 広島県原爆被害者団体協議会副理事長の山田寿美子さん(77)=広島市東区=は、2歳の時に被爆し、両親を亡くした「原爆孤児」だ。病院のソーシャルワーカーとして長年被爆者をはじめとする患者を支援してきた。原爆投下から75年。「被爆者は常に苦しみを抱えて生きてきた。二度と被爆者を出さないという思いを世界の共通認識にしたい」と核廃絶を強く訴える。
 山田さんは爆心地から2.3キロの母の実家で18歳年上の姉と共に被爆したが、記憶はない。姉によると、飛び散った窓ガラスの破片が体に刺さり、放射性物質を含む「」を浴びた。爆心地近くにいた父の遺骨は見つからず、全身がやけどした母も亡くなった。
 姉が結核で入院したため、親戚宅を転々とした。学校に行くと「親がいない」と差別され、帰っても居場所はなかった。転機が訪れたのは小学4年の時。原爆孤児に手紙とお金を送る「精神養子運動」をけん引した作家の山口勇子さんと出会い、東京の女性が「精神親」になってくれた。「誰かに励ましてもらうことはなかったから、すごく支えになった」と振り返る。
 中学3年の冬、結婚した姉が岡山県の自宅に呼び寄せてくれた。義兄の仕送りと奨学金で愛知県の大学に進み、同和地区への支援活動など貧困と差別の問題に取り組んだ。「広島には二度と帰るまい」と思っていたが、自分が学んだことを実践しようと決意。広島市内の病院に就職し、ソーシャルワーカーとして数多くの患者の相談に乗った。
 ある被爆者の男性は日雇いの仕事にしか就けず、自暴自棄になっていた。支援を通じて前向きになり、病院が受け入れていた修学旅行生への証言を頼むと、「被爆の恐ろしさを知ってくれるならありがたい」と引き受けてくれた。しかし、酒への依存を断ち切れず、体を壊して亡くなった。
 原爆の恐怖を思い出すため、ガスコンロの火を付けられない女性もいた。夫が炊事をしていたが、認知症になってできなくなり、2人とも施設に入ったという。
 「被爆者の苦しみは生涯続く。それが原爆の恐ろしさ。もう誰にも、そういう思いをしてほしくない」。山田さんは命の限り訴え続ける考えだ。(2020/08/06-18:48)

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