東京パラ後の日常でも「共生社会の実現を」 カナダ選手団長ディクソンさん

2021.09.18
0
by 時事通信


オンライン取材に応じる東京パラリンピックのカナダ選手団長、ステファニー・ディクソンさん=8月30日

オンライン取材に応じる東京パラリンピックのカナダ選手団長、ステファニー・ディクソンさん=8月30日

 「多様性と調和」を理念の一つに掲げた東京パラリンピックが終わった。カナダ選手団の団長で元パラ競泳金メダリストのステファニー・ディクソンさんは時事通信の取材に「パラ選手は皆、スーパースターだが、故郷に帰れば差別に直面することもある」と指摘。大会から日常に視野を広げ、「障害者や社会的障壁を理解し、障害を持つ人がより参加できる社会の実現」をレガシー(遺産)にしてほしいと語った。
 生まれつき右脚がないディクソンさんは2000年、16歳でシドニー・パラリンピックに初出場。その後のアテネ、北京大会を含めて計19個のメダルを獲得した。引退後はパラ競技に関わりながらコーチとしても活躍。自身の経験から「パラ選手の力強さや物語は、障害者に対する人々の見方を変える」と信じている。
 ディクソンさんは2歳で水泳に出会う。「水中だと、まるで人魚になれた」と夢中になった。しかし、10代になると周囲からふびんに思われることや、偏見、障害を理由とする社会的障壁を知り、「自分に誇りを持てず苦悩した」と振り返る。
 そうした時に親やコーチに勧められたのがパラ競技の世界。選手の活躍に「目が覚めた」。パラリンピックは「障害者がその体と精神で驚くべき高みに到達できることを示す好例。(偏見などが)いかに間違っているかに気付いた」という。
 参加国・地域や人数が増えるなどパラリンピックが発展し、世界の注目が集まることは「素晴らしい進展だ」と評価する一方、「障害がある人の日常生活は少ししか進展していない」との思いも。パラ選手はごく一部であり、「パラリンピックの時だけ障害者が受け入れられるのではいけない」と強調した。
 東京大会の期間中、手を振り応援してくれる日本人の姿がバスから見え、支えてもらっていると感じたという。他方、交通手段に多少の課題があったといい、よりバリアフリー化が進むことを期待。大会を機に開催国として「日本がより包括的で誰にとっても利便性の高い国になれば」と話した。(2021/09/18-07:08)

print

人気のオススメ記事