リスク背中合わせの「日常」 沖縄、途切れぬ事件・事故・騒音―日米安保、負の側面

2022.05.13
0
by 時事通信


米軍嘉手納基地=2月25日、沖縄県

米軍嘉手納基地=2月25日、沖縄県

  • 米軍嘉手納基地の戦闘機が墜落した宮森小学校の現場=1959年6月30日、沖縄県旧石川市(現うるま市、石川・宮森630会提供)
  • 米軍機の飛行ルートを示しながら話す伊波宏俊さん=4月22日、沖縄県うるま市
  • インタビューに答える新川秀清さん=4月13日、沖縄県沖縄市

 在日米軍専用施設・区域の7割が集中する沖縄。米兵による犯罪がこれまで多数起き、軍用機の墜落事故も発生した。航空基地の周辺住民は日常的に「爆音」にさらされる。インド太平洋地域の安全保障環境が厳しさを増す中、リスクと背中合わせの暮らしは今後も続く。
 「すごい音が響いて、あっという間。どこがどうなったか分からない」。沖縄県うるま市に住む伊波秀子さん(85)は、1959年6月30日に市内の宮森小学校に米軍ジェット戦闘機が突っ込んだ時の様子を今も覚えている。
 機体は民家をなぎ倒しながら校舎に衝突、炎上し、児童や住民計18人が犠牲になった。伊波さん宅には燃料タンクが直撃。洋裁学校の宿題のため部屋でミシンを使っていた伊波さんは重傷を負い、母親は命を失った。「飛行機の音を聞くのは怖い。また落ちてやられるんじゃないかと思う」と話す。
 沖縄の米軍基地は、第2次大戦末期の沖縄戦を経て米国の統治下で次々と建設された。在日米軍は日米安保体制の軸として地域の平和と安定を支える。ただ、事件、事故や騒音、環境汚染といった負の側面がついて回る。
 72年の本土復帰前のものとしては、55年に6歳女児が米兵に暴行、殺害された。65年には米軍ヘリからパラシュートで投下されたトレーラーが民間地に落ち、小学5年の少女が下敷きになり死亡した。いずれも日常の生活で突然起きた惨事だ。
 復帰後も変わらなかった。2004年、普天間飛行場(宜野湾市)所属の大型輸送ヘリが隣接する沖縄国際大学の構内に墜落。16年に米軍属による女性殺害事件が起きた。同飛行場では20年、有毒物質「PFOS」を含む大量の泡消火剤が基地外に漏れ出した。
 極東最大規模の嘉手納基地(嘉手納町など)では、昼夜を問わず戦闘機や偵察機がごう音とともに飛び立つ。防衛省沖縄防衛局が22年3月の1カ月間に行った目視調査によると、午後10時から翌朝6時までの飛行回数は186回に及んだ。
 周辺住民が起こした「嘉手納爆音訴訟」は、これまで第3次提訴分まで判決が出た。だが、いずれも騒音被害への賠償を認めただけで、夜間・早朝の飛行差し止め請求は退けた。
 嘉手納基地の飛行ルートに当たる、うるま市の伊波宏俊さん(82)は現状について「畑仕事をしていると、全速力で低空飛行し、頭上でUターンする。まるで攻撃されているような錯覚に陥る」と説明する。嘉手納基地に常駐していない「外来機」の発着が相次ぎ、オーストラリア軍機も確認されたという。
 沖縄米軍基地の整理・縮小の取り組みは95年の少女暴行事件後に加速した。だが、北朝鮮や中国をめぐる情勢は年々悪化。地域ににらみを利かす嘉手納基地の返還は協議の俎上(そじょう)にも上っていない。
 広大な基地は街の発展を妨げる。近年は自衛隊の増強も沖縄で進む。嘉手納爆音訴訟の原告団長を務める元沖縄市長の新川秀清さん(85)は、政府が掲げる「負担軽減」について「言葉はきれいだが、実質は変わらないことを住民は実感している」と語る。(2022/05/13-07:25)

print

人気のオススメ記事